久しぶりです
10ヶ月振りになりますね
自分でもびっくり!
久しぶりなのにあまり楽しくはない投稿ですが備忘録として書いておこうと思い立ちました。
お付き合いくださったらうれしいです。

独居の兄が亡くなってその後の諸手続きなど。
今年の暑かった夏のすごーく大変だった思い出と自分への労りとして💧

2023/07/14
長野県の地方都市で一人住まいをしていた長兄が亡くなりました。83歳でした。
連絡はその弟である次兄から。
1月に脳腫瘍の手術が無事に済んだとの報告は聞いていたけれど、お見舞いにも会いに行くこともなくその日を迎えてしまいました。

最期を迎えた日からの色々なことを書く前に
兄のことを少しだけ知ってもらおうと思います。

兄は私の11歳上で父親は戦死したそうです。
母は戦後2人の兄を連れて父と再婚し私達三姉妹が生まれました。
高校を卒業して日本橋が本店の大きな百貨店に勤めた兄。
高級時計売り場にいたのでパリッとした良いスーツを着てスタイルもよく物腰も柔らかく優しかったので自慢の兄だったと思います。
金属で出来たキラキラした宝石箱や汕頭の刺繍ハンカチなどを私達姉妹にプレゼントしてくれました。
その後結婚して男女2人の子供ができて幸せだったはずなのですが。
独立して時計の商売を始めたけれどうまくいかず失敗。借金も作って兄夫婦は離婚となりました。
私はそのへんの顛末は聞きもしないし知りたいとも思わず、まだ若く自分のことしか考えていないおバカさんでした。

兄はその後、最期を迎える事になった地、長野に移住し、色々な仕事を転々としていたようです。
ある時、車で大事故を起こし瀕死の重症となりました。
母はひと月の半分を長野で看病、半分はこちらという生活を約1年くらいしていたと思います。ふくよかだった母がどんどん痩せていき、経済的にも大変だったと思います。

体が快復に向かいこちらに滞在するようになりましたが、相変わらずの贅沢な暮らしが忘れられなかったのか、世話になっているのに毎晩ビールを飲んでおかずに不満をもらし、父は特に何も言わなかったようですが、母は板挟みで辛かったと思います。
その頃から私達姉妹は母を苦しめている兄のことを疎むように恨むようになっていきました。

なんとか自活できる体になって、長野に戻っていったときは本当にホッとしたのを覚えています。

画像は斎場から駅に戻る車の窓からの空です】