音には表情があった。

本当は。

それを誰かに表現してほしがっていた。

 

 

 

この色香は音の色香か。

 

作ったものではない。

 

作ろうとして、作ったものではない。

 

音を舞って、音を感じて、この表情になったのだ。

 

 

 

うん、スケートの表現力とはなんなのでしょうね。

スポーツであるけれども、そこに必ず音がある。

 

華美なものはいらない。

意識したものはいらない。

たぶんそこに生まれ出るものなのだ。

 

 

失礼ながら生でメドさんを拝見した時は、

作り込んだものを感じた…。

 

何が違うのだろうか…。

 

 

 

さて、小室さんがゆづ君をプロデュースしてみたいと

言ったとか。

 

私はYOSHIKIさんが大好きで、

小室さんとコラボしたのもよく覚えております。

 

小室さんのテクノポップスらしき音に、

YOSHIKIさんの泣きのメロディーが間奏で入って。

 

ああ、随分と昔のことだ。

 

でも、お二人共、今もすばらしい。

 

 

昨日でしょうか、TVで歌のうまい人達の選手権をやっていて。

 

審査員席で真剣に歌を聴き込む小室さんが

とても素敵で。

 

TVの外で見ている人と、点数は案外と一致しない。

会場で聴いてこその何かがあるのだと思いました。

 

その他の何かとでもいうのでしょうか?

 

うまいだけではダメ。

唸るだけではダメ。

音符通りに歌うだけでもダメ。

 

主人は既成概念だと言いました。

この歌はこう歌うべきとの思い込み。

 

そこから外れた何かを感じた時、人は感動すると。

 

 

 

紅白のYOSHIKIさんは手術をしたのに、ドラムを叩いた。

いつも彼は自らを痛めながら、

一期一会を披露して。

 

 

 

 

天と地のレクイエムを聴いたときに、

XのART OF LIFEに何処か似ていると思いました。

 

ピアノの旋律。

どんどんと哀しくなって。

 

始めはどうしていいのかさえ分からない暗闇。

音が哀しく共鳴し合って。

 

けれども、徐々に夜明けはくる。

明けない夜はない。

 

 

24時間TVのレクイエムのゆづ君は、

そんな音を見事に表現していました。

 

 

 

音の表情と言えば?

やはりバラード1番でしょうか。

 

 

こんなにもいろんな音を、繊細な音を、

一瞬一瞬を、ゆづ君は表現して。

 

 

 

 

そうして、この苦難を乗り越えた時に

また、違う表情が生まれるような気がします。

 

 

ランダムに纏まりもなく、書いてしまいましたが…。

 

 

 

ゆづ君、今はどうですか?

 

どんな音を表現していますか?

 

クルクルと指を回していますか?

 

ちゃんと食べていますか?

 

コーチ達に見守られて、

笑顔で振り返っていますか?

 

 

想像するしか出来ないけれども、

きっと、きっと。

 

 

ゆづ君へ。

いつも音は君と共にありますよ。

 

たぶん、それが言いたかったのです。