新宿って言う町 | キムさんの日本漂流記

キムさんの日本漂流記

안녕(^-^)/
初めまして
一番後(最初)から読んでね〜

잘 부탁 합니다〜
よろしくお願いします。

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学校での生活は抜群!
ある人物の仲間入り、、、、!?
その人出会いは日本生活を大きく変える事になり、その名!!パク シヨンさんでした!!


その前に、




新聞の仕事を辞めたんですが
大きい理由の一つは思ったより低い給料でした。

一日2回朝と夕方、雨も雪も関わらず勝手な休みも許せない緊張感!!

3ヶ月経っても伸びない日本語に焦りが出る!

日本語もお金の稼ぎも全く入らない!


それで
パクさんから話しも有って彼が経営する会社の寮に入る事にしたんですね。

その舞台は
新宿、新大久保でした。
職安通り付近、今はイケメン通りに変わりましたが大きいな部屋のマンションのエレベーター無しの5階で5-6暮らしでした。

1990年代の新大久保は今みたいに活性化されない小さな韓国料理さん、ビデオ店(韓国映画やドラマレンタル店)、韓国食材店、美容室、クラブなど
日本に住む韓国人のための町でした。

まあ~
普通の韓国のような町でありました!

歌舞伎町に働いてる水商売関係の人々の対象で成り立つパクさんの会社もその一つでした。

仕事の内容は
韓国ビデオの販売、送金、国際電話カード販売、携帯電話貸し出し、韓国人向けの雑誌発行など
仕事はいっぱい、、、!!

うん~
その時からお勉強は
もう出来なくなり、仕事に夢中でした。
学校はもうビザ延長の為の手段にすぎなかった。
日本に来て1年、、日本語の基礎からもう前に進まない!

更に新大久保での仕事は日本語が全く要らない!


その時はそれでもいいとお金稼げば
これで行けると思いました。

ある日、気がついたら日本へ来て
もう2年~

結局、
日本に来ても変わらない自分がいました!

何しに来た、、 ?!

会社も順調のはずたがアマイ経営で倒産に追い込まれましてパクさん周辺の人もバラバラと解散され、僕もその一人でした。

ああ~
甘い自分が未来を考えないで現実安住していたんですね!!!

厳しい留学生活送るより毎日美味しい食事、
遅くまで夜遊び、学校を行くと寝るだけの繰り返しで仕事のいい出来もあり、
周りが将来の自分が見えなくなっていました。








これからが、、、、、、、、問題の始まりです!





続く。

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