文字とはいかなる物なのだろうか。



僕の周りの人々はよく分からない規則で並べられている粒子で文字を把握できる。 



五十音、漢字、数字、英語、その他の文字と呼ばれる物達。



僕はまだそのカタチを知らない。 



発音はできる。 



文法だって、慣用句の使い方だって、必要な事はなんだって知っているのに、僕は『あいあむヨウスケオカモト』すら書く事も読む事も出来やしない。 



鉛筆を握ってする事といえば点の枠の中に、周りの人曰く『文字』と呼ばれる何かを塗り込むしかないのだ。



小学生の時も中学生の時も、それで何度も怒られた。 



僕は世間一般で言う『普通』ではないらしいのだ。



そうやって一度周りと違う不安に押し潰されそうになった時、幼なじみのアーちゃんに相談した事があるのだが、アーちゃんはただ一言“別に、いいんじゃない?”と呟いただけだった。



アーちゃんは『普通』ではないらしい僕に対して『普通』接してしてくれる、僕からしたら『異常』な存在だった。



アーちゃんは想像の表現が豊かで、言葉で僕に文字の形、映像、写真、色々な物を僕に教えてくれた。 



僕には写真も映像も、赤青黄緑の点にしか見えない。



テレビを前にして感動に口にしている人を見て、僕は怖くなった。 



不規則な点を見て人は何を感じているのか、僕には到底理解出来ない。 



僕が『普通』だとしたら、土煙を見てニヤニヤしているようなものだ。



『普通』の人はそうしているものなのだろうか?



絵画、というものがあるがあれは僕にとって一番解しがたい。



人はみんなあのグチャグチャな何かを額縁で囲んで“芸術だ''だの“人間の財産だ"だの……出来損ないの地球上の複製品を見て言う癖に、今目に見えるものの本当の美しさが分かっちゃあいないんだと思う。



この薄っぺらな世界の中で、何が綺麗だと聞かれたらやっぱり僕は隙間だと答えるだろう。



目に見えているのにも関わらず、触れていると感じる事の出来ない隙間。



看板の裏にないはずの世界。


すれ違う人に隠れた向こう側。



僕はよく考える。



目に映るものはみんな平面だ。


ノッペリとしていて、滑らかな平面。



それなのに人は“飛び出る”だとかなんだとか……。



飛び出て見えた時点で平面なのに、立体だと騒ぐ人が信じられない。



立体とは、接触して初めて立体と言えるものだ。


それまで『みて』いるものは平面だ。



向こう側が感知出来ない時点で、世界は平面だ。


触ってみると感触がアタマの中を駆け巡って、立体の世界を感知する。



多分岐世界という五次元体を切ると、断面は時間という四次元体。
時間という四次元体を切ると、断面は立体。
立体を切ると、断面は平面。
平面を切ると、断面は線。
線を切ると、断面は点。




このような狭間で、僕達は生きているのだが、誰も気付いてくれない。



絵画なんてくそくらえだ。



僕は世界をどう感じて生きればいいのだろうか?



周りと同じように平面の中で、平面を楽しめばいいのか?



この事は明日、アーちゃんに相談することにしよう。



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あー、無理、挫折する。


実際いまの次元が理解出来ないのに、一つ上の世界を見てる岡本くんの話は難しい。



けっきょく何も回収せずに終了だよ!



すまんね