磨りガラスで覆われた僕の世界
「窮鼠猫を噛む」という諺がありますが、
追い詰められた者は見境がなくなります。
強大な敵を前にしても死にもの狂いで反撃する為に、
一時的に果てしなくバカになるのです。
つまり、追い詰められるとバカになるんです。
僕の頭には今まで出会った人すべてが居ます。
現実には誰も僕なんか見ていませんが、
僕の脳内ではみんなが僕の行動を評価・批判します。
気にしなければいい話なのですが、
無駄なプライドがある僕は格好付けたいので
どうにもその言葉の一つ一つに縛られてしまうのです。
これはダサい。それは非人道的だ。
あれは不謹慎。どれは頭悪そう。
これもそれもあれもどれもできなくなります。
傍から見たら僕は自由なのに
僕の内面は自由の欠片もありません。
勝手に不自由です。
勝手に追い詰められていきます。
脳内の人々が言う言葉は基本的に僕の妄想ではありません。
僕の記憶です。実際に本人から言われた・聞いた言葉です。
それが僕の中で信憑性となり、
彼ら多くの感覚に従えば常識に従えると思った結果です。
一個人が昔何気なく言った言葉に責任を負わせないでほしいですよね。
今は考えが違うかもしれないし、そもそもが意味なんてなかっかもしれない。
でも僕はどうしても縛られてしまうのです。
気を強く持てば良い。記憶の声なんて何の意味もない。責任もない。
それに従ったところで誰も褒めないし同情しない。
僕は大嫌いだ。人じゃなくて。記憶が嫌いだ。
人を嫌いにさせる、僕の記憶が嫌いだ。
だから最近、記憶力が酷く悪くなってきた。
不便だけど、多少は心が軽い。
でも望めるなら。
健常者に見えて、都合の悪いことは忘れてしまえる体が欲しかった。
空気の陣地取りをしたいわけじゃないんですよね?
この記事について少々。
「タバコが好きなら吸い尽くせば良い」という画像が話題に【Twitter】
喫煙家は反論もまともにできねぇのかと思って
ちょっとショックだったので僕も話題にします。
このツイート主の画像は本人「攻撃してるつもりはない」ということですが、どう足掻いても悪意しかありません。
そんなの誰が見てもわかる。
だからイラッってして
「牛は骨まで食べるのか」とか
「そんなことしたら死ぬだろ喫煙者のこと考えろ」とか
挙げ句の果てには「車乗るなら排気ガス吸え」とか
言い出しちゃうんですよね。
ここで一旦、どっちがどうとか妥協点とかは置いておいて、
ツイ主にここまで言わしめた経緯を考えましょう。
まぁ経験がなくても想像くらいつくとは思うんですけど。
非喫煙者にとってタバコの煙とは喫煙者が思っている以上に不快です。
酷い時は呼吸ができない程に咳が止まらなくなり、それによって喉は荒れ、最悪切れて血が出ます。咳の連発で酸欠になり頭は朦朧として気分が悪くなってきます。
ちなみにこれはワンルームで二人の喫煙者が換気もそこそこに吸ってた時の僕の体験談です。
さらに学校では「煙草のデメリット」を学ぶ昨今です。
煙草に含まれる「シアン化物」は喉にある線毛(風邪菌とか外部からの異物を押し出してくれたりする器官)にダメージを与えるとか。
副流煙は主流煙の10倍の濃さがあるとか。
ニコチンは10代以下が吸うと中毒を起こし易いとか。
タールは発がん性があるとか。
嫌ってほど学びます。
非喫煙者は別に喫煙者をどうこうしたいわけじゃありません。
ただ、自分の選んだ健康への道を進みたいだけなのです。
本当だったら1mmも吸いたくないのです。
しかし、非喫煙者もそこまで強くは言えません。
喫煙者の選んだ道だってそれは人の選んだ道ですから。
例のツイートへのリプでは「分煙」の話もありましたが、
きちんと分煙されてクリーンな空気を吸ってる人がこういったツイートを描こうと思うのでしょうか。
多分、ツイ主の周りに煙はそれほど絶えてないのではないかと僕は考えてしまいます。
実際、僕の周りで分煙が実行されてるのは飲食店だけです。
一番やっかいなのは保護者が喫煙者だった場合です。
分煙されていても関係ありません。
親が吸いたければ喫煙席へ子供は連れていかれます。
大きくなれば断れるでしょうが、若ければ若いほどニコチン中毒になる可能性は高いのです。
次に考えられるのがマナーを守らない人。
誰かが「一つのクラスタの水準は一番悪い人間で見られる」なんてことを言っていましたが、要は一番マナーの悪い人の行動が喫煙者代表として認識されてしまうということですね。
そういうのわかってるから同じ同志のマナーを注意するんですよ意識の高い人は。
そうして幼少期から積もりに積もった嫌煙思想が
時にこうして全喫煙者へ当たってしまうこともあるのです。
なんていうか、ブラックジョークで済んでよかったね。
だってあの図はどう考えても(ツイートからもわかるように)
「好んで吸ってるお前が副流煙を浴びて死ねよ」
って言ってるんですもん。
まぁ、自分の健康を害してくる(殺してくる)人間に殺意を覚えるのって生物の本能として全然理解できると思うのだけれど。
相手がここまで素直に「しね」ってジャブを打ってきてるのに
バカの一つ覚えみたいに喫煙者擁護派の反論が
「頭使えよ」だったのが俺はどうしようもなく情けないよ。
その発言が脳味噌足りてないから止めろ。喫煙者が可哀想だろうが。
そもそもがだよ。
煙草は「趣向品」なんだよな。
反論例にも挙げた「車乗るなら排気ガスも吸え」とかIQ2だろ。
まず第一に排気ガス吸ってない人いないし、
移動手段と趣向品では必要性の格が違うし、
CO2問題で排気ガスも肩身はちゃんと狭いだろ。
一連の文章からもだだ漏れてる僕の嫌煙家具合ですがね、
でももう少し上手いカウンター方法があったと思うんだよ。
あの目に余る反論見ちゃったら喫煙者って人間のクズなんだなって嫌煙家が大喜びしちゃうよ。
ちゃんとクズじゃない奴も吸ってるだろ!煙草!
な!?…だろ!??おい!!返事しろよ!!!
喫煙者も大変だと思うよ。
付き合いで嫌でも吸わなきゃいけない人だっていただろうし、
煙草くらいしか楽しみのない社蓄だっているだろうし、
ただでさえ分煙で肩身狭いのに守ってる人がこれ以上言われたらね。
(守ってない奴の方が文句垂れそうなイメージはあるけど)
悪いのは全部「副流煙」なんだよ。
喫煙者の吸いたいっていう気持ちも、
非喫煙者の吸いたくないっていう気持ちも、
どっちも悪いことじゃないんだよ。
悪いのは全部全部、コントロールされてない「副流煙」なんだよ。
鬱憤が溜まって喫煙者全員に当たっちゃったツイ主も褒められはしないよ。
それにイラついてクソリプしちゃった喫煙者(?)もよくなかったよ。
でもどっちも悪くはないよ。
悪いのはみーんな野放しになってる「副流煙」なんだから。
真面目に考えるなら、その悪の権化の「副流煙」を喫煙者が吸うとかじゃなくて、無害な物にするとか、散っていかないようにするとかそういう対処だよね。
だって喫煙者も副流煙はそこまで必要ないでしょ。
格好良いとかあると思うんだけど、それこそ殺意湧くよ。
そんな理由で人に危害を加えてるならさ。
そんなわけないよね。吸いたいだけだよね。
格好なら別の方法でいくらでも付けられるから我慢してな。
煙草で格好良くなれるような人間なら何しても格好良いからさ。
喫煙者に負担が少ない方法で副流煙消せる方法を見つけ出せたらいいね。
それこそ歴史に名を刻むレベルの発明じゃないかな。
何にせよカリカリするのはわかるけど敵を見誤っちゃいけないよ。
特に子供の命を守りたい気持ちが強くなりがちな女性なんかは
少しでも害になりそうなものにはつい憎しみを抱いてしまうだろうけど、
中毒者は自分の痛み治すのが優先事項だから戦争になっちゃうよ。
後、この手の「多くが解決を求めてる事案」に関しては
もう少し高次な論争を聞きたいなと思います。
ホント、真面目に、どうにかして欲しいので。
つまらねぇ論争する前に解決しようや。ボケが。
どうしようもない感情
触れないで欲しい。
声を掛けないで欲しい。
僕なんかに声を掛けた人間が
呆れて去る姿を見るのがもうつらいから。
遠くから見てわかる筈なのに。
なんで声を掛けてくるのか。
僕は段々それに怒りを感じ始める。
でもそれは的外れな怒りだ。理不尽だ。
やればできると思ってもらえたのに、
やろうとしなかったら人だって
迷惑だったかもしれないと身を引く。
そういう見方だってできる。
わかってるんだよ。
全部俺が悪いことぐらい。
わかってるんだよ。
そうやって俺が悪いということを自覚しているって
いちいち説明しないといけないのかよ。
俺が何をしたんだよ。取り繕ってないだろ全然。
人をよく見て声掛けろよ。
そうやって何度も何度も俺が悪いって
自分の口から言わせるとは趣味の悪い連中だ。
あっちに行ってくれ。
俺の視界から消え失せてくれ。
俺の脳から存在を消してくれ。
俺の世界から他界してくれよ。
全身が火傷したみたいな感覚だ。
気分が悪い。吐き気がする。
さわるなさわるなさわるな
会った人全員が俺の世界に残ってて、
苦言を呈したり嘲ったり罵ったりする。
あの人たちはそんな事は言わない。
そもそも他人にそこまで執着する人が少ない。
わかってる。わかってる。わかってるよ。
じゃあなんでいるんだよ。
じゃあなんで苦しいんだよ。
わかってる。コレは彼らじゃない。
僕自身の言葉であることもわかってる。
精神を成熟させて、自分を愛せばいいんだろう。
わかってる。
でもやればやろうとする程、
わけがわからなくなって面倒になって、
もうどうでもよくなるんだ。
こんなやるせない時は「しね」と言いたくなる。
だけどこの言葉は妥当じゃない。
正確には「触るな」なんだ。
いなくなれ消えろ見える位置に存在するな。
でも、どんなに人を遠ざけても、
俺という人間からは手を引いてもらえない。
本当であれば他人との交流をした方が、
自分から逃げられる筈なんだ。
遠ざけるのは間違いなんだ。
わかってる。
でも俺はこんな自分を見せて目を汚させたくないし、
そもそも汚点だらけの俺を見てほしくもない。
俺が俺である以上、俺はまともな交流ができない。
こうやって意固地になっているんだ。
だから呆れて去るんだろうお前らは。
面倒臭いからだ。
わかるだろ、俺の気持ちが。
面倒臭いだろこんな人間。
なんでお前らは去れるんだよ離れられるんだよ。
羨ましくて妬ましいよ。
嫌いなものは、汚いものは見なくて済む、
お前らが妬ましいよ。
嫌いな人からは離れましょう。
好きな人と付き合いましょう。
簡単に言うなクソバカ野郎。
物を考える自我が、自我自体を嫌ってるんだぞ。
体と心よりも難問だろうが。
どうやって離れるんだクソが。
どうしようもないだろ。
誰にも理解してもらえないよ。
自分が嫌いな同志を見つけられて遠くで見てられる。
ネットは素晴らしいけれど。
きっと現実では誰も。
だって俺が広くは行動しないから。
今理解されてないなら。
きっともう理解されない。
どうしようもねぇな。
どうしようもねぇ奴だ。
本当に。
人間アレルギー
もうすぐ春ですね。
ちょっとも出かける気が起きません肉です、こんばんは。
今年は早くも2月から花粉が飛んでいるようで。
僕の鼻粘膜は赤黒くテラテラと光っております。
なんとも馬鹿げたこの戦い。
なんだか人を拒絶する気持ちに似てる気がしました。
他人という異物が入ってきたときに
過剰に反応して拒絶行動を取ってしまうが為に
自らを傷付けてしまう。
本当に愚かですよね。
なんで毎年繰り返しているんでしょう。
不信用
母親に抱いていた仄かな不信感の正体がわかった。
本人は否定するだろうし、
僕自身もそこまで酷いとは考えなかった事実だ。
彼女は僕を信用していない。
僕自身の行動に問題があっての信用のなさじゃない。
僕は一度も彼女の物を盗ったことがないのに、
彼女は自分のテリトリーのものを触られるのを嫌がる。
時には発狂するレベルで嫌がる。
勿論、誰にだってそうなのかもしれない。
そういう性格なのかもしれない。
彼女は死んだ祖母…彼女の母親についてよくこう言っていた。
「もっと娘を信頼してくれればよかったのに」
きっとこの言葉を本心から言っているのならば、
彼女の人を信用できない心はもはや治せるものではあるまい。
「念の為」「確認の為」「社会ではそうする」
常にそういう言葉で逃げて来た彼女。
確かに大事かもしれない。不安に弱いのかもしれない。
起こってしまったことに責任を取るのは自分なら尚更だ。
別に悪いことじゃない。罪でもない。
彼女以外、そのことを誰も責めやしない。
しかし、
「露骨に信用していない態度」が引き起こす現象を
彼女は受け入れなければならない。
不信用が引き起こす現象は勿論「不信用」だ。
信用されてない人間を信用できるほど、
多くの人は恐いもの知らずじゃない。
それこそカリスマを持った人間のみができることだ。
だが残念なことに、
カリスマを持った人間はそうそうそこらへんにはいない。
だから僕らは互いが互いに歩み寄らねばならないんだ。
それがどんなに苦手で苦痛であろうとも。
きっと彼女もそうだったのだろう。
祖母も人を信用しない人間なのだとしたら、
彼女も歩み寄りを拒絶されてその行為に苦手意識ができたのだろう。
僕の場合はそうだからそう推測してしまう。
元々得意ではない歩み寄りをおずおずとしたその手を
何度叩かれて拒絶されて罵られて疑われただろう。
僕は人としての価値がそこで0以下になった。
僕は人に触れてはいけない存在で、
僕は人と並んではいけない存在で、
僕は人に信頼されない存在で、
僕は人を頼ってはいけない存在で、
僕はきっと許されてはいけない存在なのだろう。
でなければ何故ああも拒絶されたのだ。
母に愛があるなら。問題は僕にある筈だろう。
その前提が覆らない限り、問題は常に僕にあるんだ。
そう、卑屈に考えるようになる。
そう考えた方が楽だからだ。被害者になれるからだ。
人の事を考えずに自分を磨くだけでいいからだ。
問題なのはどう考えても、
「信頼関係を気付けない性格」の方だ。
母の主張通り、愛があるのが事実なら、
そして僕自身にも酷い問題があるわけでもないのなら、
問題があるのは意思疎通の手段の部分だ。
そこの欠陥は勿論僕にもあるからよくわかる。
単純な話、
「信用することを恐れなければいい」だけなんだ。
そもそも、取引の相手でも恋人でもなんでもない。
嫌でも切れぬ親子感で恐れる痛手など殆どない。
はした金が無くなるとか、ちょっと怪我をするとか、
ちょっとの間仲が酷く悪くなるとか…そんな程度だ。
まぁ、彼女は誰も信用していないので、
「殺される可能性」というものを信じているようだが。
俺の絶望的に愚かな弟ですら、その兆候は感じない。
悪く言えばどいつにも人を殺す度胸なんてない。
口ではいうかもしれないがチンピラの戯れ言程度だ。
そんなの、彼女が得意気に語る人生の中で
いくらでも学ぶ瞬間はあった筈だ。
「うっかり」「事故で」なんてことはあるかもしれない。
それを恐れているのだろうけれど。
僕はその「恐れ」こそがそれを現実にしてしまうと思う。
スターウォーズ・エピソードIIIでそんな話をしてたか。
一緒に見た筈なんだけどなぁ。
ある対象への「恐れ」はその対象へ影響を及ぼす。
実体験として感じるからそれはあると思う。
思春期の時に少々過激な喧嘩をした時、
彼女は小便を漏らしながら無様に外へ助けを求めた。
僕にそんな気もなければ、そんな状況でもなかった。
むしろ彼女の方が殺傷能力の高い武器を持っていた。
僕はその時、
本当に絶望した。
本当に僕は人を殺すような人間に見えていたのか。
そんな愚かな人間だと彼女に思われていたのか。
間違いで殺しかねないのは自分の方だろうに、
僕に殺されると本気で思ったのか。
酷く深い悲しみに全身が重くなるのを感じた。
そして、体の下に溜まった悲しみが、
ふつふつと沸き上がり怒りが込み上げてきた。
その時もきっと僕は
「信用されていない」状況にショックを受けていたのだろう。
親父にも友人にも先生にも受けた事のない屈辱だった。
誰も俺を人殺しなんて呼ばなかった。
どんなに暴れてもどんなに情緒不安定でも
どんなに愚かと思われてもどんなに嫌われても
誰も僕を人殺しなんて思わなかった。
思いもしなかった。
そんな恐怖を抱くものは
「知らない犯罪者」だけだ。
僕は今目の前で、
「知らない犯罪者予備軍」と暗に言われたのだ。
彼女はそんなつもりがなくても、
人はそう捉える。
僕のように心が弱い人間は尚更だ。
彼女が信用しなかっただけで、
確かに僕の中に「殺意」が生まれてしまった。
今まで知りもしなかった感情だ。
どんなアクション映画を見て用語を覚えても。
どんなホラー映画を見て巫山戯て真似ても。
絶対に得られなかった感情だ。
それはそうだ。
「信用できない人間」は
テリトリーにいてほしくないのだから。
他人ならともかく、自分にそっくりな親に殺意を抱いてしまった。
自滅願望に囚われ始めたのも丁度その頃だ。
毎日母親を色んな方法で殺す夢を見た。
毎日自分が死ぬ色んな方法を考えていた。
大人になって何もかもがどうでもよくなった今。
自滅もいよいよ現実味を帯びて来たところ。
僕はこうしてわかっていたようで整理しをしてなかった事案を
点々と整理し始めている。
思っているほど自分は無価値ではなくて、
母親は僕が想定してるほど愛がないのではなくて、
しかし、母親が思っているほどはなくて、
すべての原因は「信頼し合う強さ」を持っていなかったことだ。
信頼すべきなんて昔からわかってた。
でもこればかりは独りよがりでは上手く行く筈も無い。
母親に改める気はなさそうだ。
改める方法を知らないのかもしれない。
勿論僕も具体的な方法は知らない。
それどころか年々「信用」が嫌いになっていく。
詰んでるのかもしれない。
諦めるしかないのかもしれない。
別にそんなにしっかり仲良くなくてもいいじゃないか。
表面上は必要以上に仲良くできてるのだから。
それを諦めたつもりで、諦め切れてなかった。
本当に諦めなければならないと悟った時に、
初めて「人が何故他者に愛を求めるか」わかった気がした。
本当に信用して欲しい、自分が信頼した人とは信頼し合えない。
その相互関係が次に可能なのは恋人くらいしかない。
勿論、友人でもなんでも道は多岐に渡るだろうが。
何かしら埋めるものがいる。
なるほど合点がいった。
最初からそういってくれればよかったのに。
親子の愛情なんて成立しないって。
言わずも、存在するなんて嘘を言わなければ良い。
馬鹿正直な人間は信じて時間を悪戯に浪費するから。
その嘘をついた人はそれが目的なのかな?
親子の愛は成立しない。
僕らは絶対に理解されない。
悲しいけど、悪い事じゃない。変な事じゃない。
自然の摂理だったんだ。
そして、新しい家庭ができるんだ。
さようなら。
さようなら。
さようなら。
僕の、お母さんになる筈だった人。
最後まで、理解できなかったし、理解されなかった。
最初からいたら、もっと早くその愚かな間違いに、
気付けていたかな。