自由と平等 | SHOUT PIT

自由と平等

自由を求めるくせに今日の自由推しに違和感を覚える肉です、こんにちは。

頭のいい方ではないので少しずつ違和感を噛み砕いております。

 

そんなモヤモヤの一端を晴らしてくれたまとめを見つけたので

紹介させて頂きたいと思います。

 

 

なぜクソ思想が流行し、人間を不幸にするのか - Togetter

 

 

反対派に対する表現がドギツいのでとっかかりにくいところもありますが、

「自由」と「平等」は別物であり、「平等」の上に「自由」が成り立つという

考え方はとてもわかりやすくて目から鱗でした。

 

100M走のスタートラインよろしく、

平等というものは中々見えにくいものです。

カーブとゴールが見えていれば一目瞭然ですが、

(見えていても時々文句が起きてるのがこの問題ですが)見えてなければ

不満を感じる人は少なくないと思います。

 

平等自体がそんな状態であるのに自由を急激に押し進めている現状に

僕は少し違和感…というより不安を覚えていたのかもしれません。

 

 

自由の押し進め方のズルいところはマイノリティを盾にしているところです。

 

マイノリティは不平等を受けていた方も多いですし、

人数の少なさから孤独感やそこからくる鬱憤が溜まっていがちです。

そのエネルギーと不遇さ(同情を引ける)を利用されているのです。

 


まとめ主の「過度な自由」への警告は
「平等性を脅かすもの」に対して行われています。


僕自身、自由を考えていた時に一番困ったことは
「あちらを立てればあちらが立たない」という部分です。

極端な話だと「人を殺すのはその人の自由」という問題。

こんな話を出せば簡単に「いや、ダメだろそれは」ってなるんですが。
これは殺される人の権利が守られていないからダメなんですよね。

 

殺人鬼の自由と被害者の自由が完全にぶつかり解消されない現象です。

…これ殺人鬼のパラドックスって名前付けるのどうですかね。(余談)


この例に関しては現在「平等」が重視されていることになります。
殺人鬼の「自由」より人々が「平等」に生活する権利が優先されています。

 

 

「殺されたい人を殺したい人が殺すのもダメなのはなんでだ!」とか
そういう話が出て来ると本当に複雑になってくるんですけど。

 

この話が複雑化するのは個人の話を逸脱するからなのかもしれません。

 

我々は組織で生きていく生物であります。社会性動物です。

そして組織には色々な種類や思想、思惑があります。

少数単位で言えば大抵の自由は許されてもいいと思えます。
それこそ当事者同士で合意の上で殺し合ったって別にいいでしょう。

しかしそれを「公」が認めるわけにはいかないのです。

それはその単体に向けた意地悪でもお願いでもなんでもなく、
他の組織を警戒しての意味合いが強いと感じます。
(勿論、簡単に非倫理的な行為を認めたくないのもありますが。)

要は「合意の上だったら殺人はOK」とか言っちゃった日には、
「合意殺人」がごりっと増えること請け合いです。
裁判が一気に大変になりそうですね。


全員が全員、善人な一個人というわけにはいきません。
というか、人によって「正義」が異なる以上、無理です。
そして大体の人が一個人でありながら組織の人間なのです。

組織が組織をどうにかしようと思うことは普通にあります。
敵対会社が弱まれば自分の社員を食わせていけるのですから。
僕はビジネスはわかりませんのでどういった切磋琢磨があるかわかりかねますが、より良いものを〜だけではないというのは想像が付きます。

そんな弱肉強食の世界で「抜け道(穴)」を増やすのは得策ではありません。

簡単に入れる会社だよ〜どんな人でも自由に入って抜けれるよ〜
なんて会社があったら敵対会社の社員が入って色々引っこ抜いたり
めちゃくちゃにしてさっさと逃げて行くに決まっています。

移民問題なんかもそれぞれ理由が根深く本当に難しい問題だと思いますが、
簡単に受け入れられないのはあまりにその数が多いとその国の過半数以上の
自国民をぶち込んで選挙で最高責任者を自国民にしその国を内部から乗っ取ることが事実上可能になってしまうからです。
アーリア人がシュメールを滅ぼした方法ってどっかの本に書いてあった。

それをしようと企んでる輩がいるという話は僕にはできませんが
(そういったソースは持ち合わせていませんので)、可能であるという状況はパンツ履いてないに近い気持ちです。スースーします。

つまり、残念ながら、
何かいい方法が見つからない限り移民問題は大変難しいのです。

自分たちもいつ海外進出しないとまともに食って行けなくなるかを考えると、
なんとも他人事ではないのですけれど…。難しい問題です。
まとめ主が言うようにその国自体が自国民を守ることに徹底することができたら一番いいのかもしれないとは思いますが…。それはそれで国家間の話が出てきて難しい祭でございますね…。


まぁ、移民問題なんかは政治色が強くなってくるので
僕はここらへんでやめておきますが。

今回はまとめ主の主張の足先ではなく根本的な感覚のところで共感を覚えた
というところを強調しておきたいと思います。

要は彼は「過ぎた自由は他者の平等を脅かす可能性があり、それは
結果として多様性を失うことになる」
と言いたいのかなと解釈しました。
個人的な解釈なので違ったらごめんね。

結局のところ人には数の不平等が存在し、
マイノリティにかまけているとやっていけないというのは事実。
異様に複雑化していきそこらじゅう穴だらけになってしまうからね。

まとめ主の「平等を脅かさない自由は問題ない」というのは
これもまた定義が難しいところで「平等」が不安定である状態だと
賛否両論生まれることになるとは思うんですよね。



多様化を進めるに当たって僕が必要だと思っているのは
「保存」と「進化」なんです。

新しいものを受け入れて取り込んで行くことは大切です。
それを僕は「進化」に定義していて、今までの文化や状態を維持することを
「保存」と定義しています。

今日の自由推しは僕にとって「進化」に近いんです。
要は今までの考え方ややり方を変えなければならないものなので。
少なくとも大変密な議論が必要になってくるものなので。
変化とか改革とかそこら辺のイメージです。

対して全世界、或いは全国がそれをすべて受け入れてしまっては
「保存」ができなくなってしまいます。
建造物や文書なんかを保存してても文化の保存にはなりません。
感覚、感性、言語、そういったものが文化たるものです。
そこに違うものが入ってしまったら、それは違うものになってしまう。
故に違う感覚に抵抗感を覚える人がいるのも不思議ではないのです。

僕にとってはどちらも大切なものです。
どちらもなくなっては多様性を失うと感じます。
どんな多色も、すべて混ざり合ってしまえばただの淀んだ黒になってしまう。
個々の確立が約束された状態こそ、真の多様性なのです。


ただ、それを身近で両立する術を僕は知りません。
「棲み分け」というのが今の応急処置になっております。
自然を残す為に隔離された島のように、確固たる和を作る他ないです。
しかしそれはルールとして確立しているものではありません。
これらは時に対立してしまい要らぬ争いや傷を生んでいます。
新しい世代の入れ替えが起こる時はどうしても通る道なんでしょう。

ここで「保存」と「進化」の名目がしっかりとしていれば、
無用な争いも傷も生まずに世代交代をしていけると思うのですよ。
どちらかが優遇されることによって自分たちの立場が脅かされると思うから
互いに嫌悪し合ってしまうような気がしますし。


この話はまた文化やなんかの話なんで少々毛色が違うかもです。
ホント、今日の自由革新は大風呂敷を広げ過ぎです。
有耶無耶にして賛成派を増やしたい感が凄いです。

誰かがそれを意図しているとかいう陰謀論的な話ではなくて、
いつか誰かが思い立ったら悪さができる穴は怖いって話です。
ほら、僕だって悪友にそういう穴付く提案ができるかもですし。
危険視できる人間がいるってことは、穴を付ける人もいるんですよ。

そしてそういったことを恐れる人が少なくないナイーブな問題を、
こんなに急激に、おおっぴらに、エンターテイメント的に、
押し進めて行くのはなんだか怖いと思われて当然だよ。
もっと優しくしてって話。


今回、まとめの解釈によって僕の不安を言語化できました。
「自由」の歴史は長く、大変難しい話です。

自由のぶつかり合いを多く見てきました。
なるべくならそれで傷付く人を減らしたいと思いました。
しかし、余程酷くその人の生活を脅かされることがないのであれば、
自由というものはぶつかって行くものなのかもしれないとも時々感じます。
それこそ江戸っ子の悪態みたいな感じで。

僕は人を嫌うことを抑圧してしまう性格なので
どうしても吃驚してしまうのですが、健全な社会でもそれはある筈です。
僕の感覚が異常なのは理解しているのでそういう社会というのも
決して不健全ではないのかなと。
過敏になり過ぎるのも危険ではあるかな。

過敏になり過ぎない為には仲間が必要だと思います。
やっぱり人は安定した家があって初めて戦場にいけるものですから。

それぞれの思想にそれぞれの家があれば平和なのになー。
ジオンのコロニーみたいに平等な環境があればやりやすそうです。
それでも邪魔な思想だと思ったら消しに掛かる人はいるのかなー。
難しいなぁ。

難しい。