不満は向上心に
責任転嫁遺伝子完備な肉です、こんにちは。
たった一文でここまで完璧に自分の責任転嫁レベルを表現できる
自分の才能に嫉妬してしまいそうです。
今回はそんな僕は棚上げして両親の面白発言で笑いたいと思います。
愚弟がいよいよぐうたらなので両親からよく出て来るようになった言葉、
「ネットの所為で子供たちの自己肯定感が低くなっている」。
私の親もなかなか天才的な責任転嫁奴でしょう。
まるっと否定はしないよ。ネットにはそういう要素もあるからね。
無法地帯故の危険要素は数えきれないだろう。
だけれどもっと否定できないのが
自己肯定感を与えられなかった親の存在だよね。
全部親の所為だというつもりはないよ。
本人たちもそれは理解してるだろうし、
もう大前提過ぎて忘れてるのかもしれないけれど。
話してるとまるでないものかのように感じられるから
突っ込んでおきたくなりました。
うちの親の特性として「とりあえず否定する」ところがあります。
口頭一番に「いや」という否定語がつくやつですね。
そしてオタクの拗らせたオタク、つまり面倒臭い性格なので、
自分の興味ないものや理解できないものは子供の趣味でも反応が薄いです。
「そういうのが好きなのか〜!」みたいな反応は絶対できません。
これは赤ちゃん相手にも変わりません。別称:大人げない。
「こういうのが好きなんだ」
「え〜…変なの。なんでそんなの好きになるの?」
「僕はこう思うんだ」
「いや、そうじゃない。」
そして最終的には「お前の話はつまらない」と言わんばかりに
家族の話し合いに入れない、という状況になったりします。
ちなみに僕は小学校低学年の頃に直にそれを言われました。
僕は「つまらない」と思われるのがこの世で一番怖かったので、
今でも心に刺さったまま抜けない刺になってしまいました。
それが僕の背水なので一概に悪いことばかりとは言えませんが。
ただ、「自己肯定感を育む」という点においてはマイナスになったと
言わざるを得ません。
どこかで挽回する必要が出て来る一言だったと思います。
そんな家庭状況で育ってどうやって自己肯定感が育まれるのでしょうか?
もはやネットに辿り着く前にライフがゼロだった可能性もあります。
頑張って知識を付けたり話に着いていこうとして
結果会話に入れるようになる、といった達成感は大事だとは思います。
実際僕は会話に入れるととても安心します。
会話に入れただけで満足するので会話の内容は結局忘れます。
その場凌ぎなので責任を取れない場合もあります。
僕には「会話に入れた」ということが重要なのです。
成人現在でその状態に故実けました。(白目)
多分、達成するのが少し遅かったんですね。
3歳頃にその達成感を味わうとその行為を楽しめるようになると聞きます。
小学校低学年の時点で僕はまだ「つまらない人間」だったので、
かなり遅かったですね。残念。僕は会話なんて大嫌いですよ。
達成感を与えたい、簡単には物事は運ばない、努力を覚えて欲しい…。
そんな親心は痛い程わかるのですが、もうちょっと上手くやらないとね。
本人にはちょっと難しいけど頑張ればすぐに達成できるようなことを
挑戦していくことがいいと聞きます。
僕が今、突然親になったらそんな難しい采配はできないので
「こうしなければダメだ」なんて絶対言いませんが、
大人だって向上心を持って挑んでいってほしいですね。
僕の母親の口癖は「私はそういうのが苦手だから」です。
別に言い訳したいわけではない気持ちはわかります。
責める気はありません。
でも、みんな苦手分野があり、自分にできることしかできないんです。
そんな中で「苦手だから」なんて言葉を発するのは言い訳と取られても
文句は言えないと僕は思ってしまいます。
僕もすぐに言い訳をしてしまうし、そんな自分が殺したいほど嫌いなので、
ちょっと厳しく見てしまいます。
すぐに直せないでもなるべく言い訳を減らしていけるといいですね。
苦手だとわかってるならさっさと手を打って下さい。
「結果が出てればなんでもいい」です。これも彼女の口癖です。
母親の口癖メドレーになったところでもう一つ口癖、「親はこんなもの」。
まさにその通りで反論はできませんが、親が言っちゃダメという奴です。
責任感というものが薄いのかなと取られて不安を与えます。
友達とか先輩とかが言って初めて効力のありそうな言葉です。
立場によって言葉の意味が変わるというのは面倒ですが大事なことです。
親自身が「親はこんなもの」というのであれば、
子供自身から言わせてもらいます。
「子供はこんなもの」です。
向上心の欠片もなくなります。
誇りもへったくれもあったものじゃありません。
自分を家庭内での「お前の上司」発言をした母親様ならば
自分の「母親」という職務にもう少し誇りを持って下さい。
言うことを聞かせたいが為に「上司」といい、
責められたくないが為に「こんなもの」と逃げる。
母親から虐められっ子臭が絶えない理由が分かった気がします。
僕はそういうフィクションキャラクターは好きですよ。
フィクションキャラクターはいいよね。なんでも許せて。
父親は口癖というよりナチュラルに人をバカにするので
シンプルに大ダメージを与えるタイプです。
バラバラと羅列していって思ったけど
一体どこで自己肯定感を養えばいいのか分からなくなってきました。
何度もいうけど僕は4歳の時に
「でも・だって」を封印されたこともあるからね。
「口答え」と言われて「弁明」すらできなかった。
成長してから口下手な自分が支離滅裂なことを言ってたんだろうと
思えるようにはなったけど、僕が今子供と対峙したら先ず言いたくないね。
ゆっくり、わかるまで聞いてやるよ言い訳を。
それで失敗をチャラにするわけじゃないけれど、
お互いに納得できるっていう状況は大きいと思うんだ。
すべての訳を知ってもらって、でもダメなことがあるんだとか。
それだけで自己肯定感は全然違うんだよ。
そもそも、「失敗を叱る」というのはタブーなんだよね。
失敗は本人がやってやろうと思ってやったことじゃないから。
本人だってショックなんだから。
勿論、言うことを聞かないから失敗したケースでつい叱ってしまうのは
誰にでもあることだとは思うのだけれど。
出来れば人が失敗した時は「対処法」を教えてあげると平和な気がします。
もうやってしまったことは仕方ないと。
じゃあこうやって対処しようね。次は失敗しないようにこうしようね、と。
じゃないと「反省」の方法を間違えてしまう人間が出てくるので。
失敗を酷く怒られた人間は「自罰」をするのを反省だと思ってしまうのです。
「なんて自分は悪いんだ、バカなんだ」と。
そんなのは反省でもなんでもありません。同じ失敗を繰り返すタイプです。
それを頭ではわかってる僕でも残念ながら反省はヘタクソです。
染み付いてしまったものは中々拭えないのです。
この前、上手く出来てちょっとだけ自分を褒めることができましたが。
肉はこれでも成長しているのです。肉片なのに。すごい生命力だ。
「君に興味があるよ」
「叱られても君を否定してるんじゃないんだよ」
そんなメッセージが日常で伝えられたら子供は素直になれる気がします。
言葉で伝わらないから面倒ですが元気に頑張りたいですね。
日々の家事と育児と諸々に疲れてそんなの無理でしょうが。
無理だったんなら子供にも無理を求めないでね。無理です。
余談だけど、こうして親の糞な部分を反芻することによって
どういう展開をしたらよかったのかという考えが深められるので
失敗を恐れずに育児に努めてきた彼らを僕は尊敬できるようになりました。
彼らはヘタクソだし、ゲスクズだけど、彼らなりに努力してました。
そして0歳の弟と触れ続けたことによって子供に対する理解も深まりました。
といっても、僕はそれが専門ではないし、勉強をしてきたわけでもないので、
理解の甘いところも大変多いと思います。
小学生の頃からずっと子供の教育について考えてきていました。
どうしたら理解できるんだろう。どうしたら失敗しなくなるんだろう。
どうしたら失敗を恐れなくなるんだろう。どうしたら向上心がでるのだろう。
それは僕自身がまったく出来が悪かったからです。
どうしたらこのガキはまともに生きられるんだろうと考えてました。
だらだらと。怠惰人間なので。
なんでそんなことに興味があるのか、
そして、そうであるのに教育の進路に進まなかったのは何故なのか。
なんだか最近わかったような気がします。
僕は僕を育て直そうとしてるんだと思います。
折角、両親に五体満足で育ててもらったんだから、
彼らのフォローくらいできないと。
彼らができなかった部分を僕がフォローしていかないと。
他に誰がしてくれるんだって話ですよ。
フォローできる人を見つけるのも自分の力だよ。
閑話休題。
責任問題なんかの話が存在するから責任転嫁なんてしちゃうんです。
責任というのは本人がしっかり持つもので他が強要するものではない筈です。
個人は自分に責任を持つ。他は人の責任を言及しない。
実際、責任なんてあらゆるものにあるのだから。
そうすればこんな悲しい責任転嫁の連鎖はなくなるのにね。
急に変わるのって難しいから、一言ずつでも変えられたらいいね。
100年後にはいい教育ができるくらいの気持ちで。
平成に生まれた日本人のテーマかなって、勝手に思ってます。
……………締め真面目かよ!?