感情で数式は変化しない。
『羊たちの沈黙』は永遠の名作だと今更ながらに実感する肉ですこんにちは。
最近、犯罪心理学に触れる事が多いのですが
そういった話を聞いてると多かれ少なかれ
「生い立ち関係なく異常者は異常者」
っていう人をよく見掛けます。
言いたい事はわかります。
そういうことを言う人は優しくて激情的な人なんです。
被害者のことや自分の身を危惧し人道的なことも考えて
それに背く悪を許せない正義感の強い人です。
でなかったら被害者に近しい人だったか。
特に後者は冷静に犯人を分析なんて心の余裕はありません。
だからそういう気持ちになるのは当たり前で正常です。
でも言ってしまえば、犯人の真理を分析するのも正常です。
大体ごっちゃにしてる人も多いですが
生い立ちや不幸な境遇が説明される時
「可哀想だからって許すのか?」とか
「これは悪いのは彼じゃない」とか
意見する人がいてまぁそれはどちらも間違っていません。
ただ間違っているのはその人物は間違いなく犯罪者で
現実に裁かれて懲罰を受けたり死刑になってたりします。
その人物が犯罪者であることは絶対変えられません。
変えられないのだから今そんな話は無意味なのです。
犯罪心理学が言っているのは別に可哀想ってことではなく、
「どうしたら同じ不幸な出来事が起こらないか」ってことです。
犯罪者だって元は人から生まれた人間の子供です。
犯罪者を裁く者も人です。そして往々にして人を裁く人間は正常です。
正常だからこそ、人を裁くことに心を痛めています。
それは責められるべき気持ちではない筈です。
犯罪者がしたことは許されざることですが、
その元は人であった犯罪者を殺すことに少なからず心を痛めることは
通常の人間ならあって然るべき気持ちなのです。
被害者への気持ちと比べてそっちが勝った、それだけの話です。
だからこれ以上の犯罪者が出ないように考えるのが
犯罪心理学なのではないでしょうか。
心理学は法律と照らし合わせて善悪を決めるものではありません。
何故その様な行動になったか、それは防げたのか。
それを人と向き合って考える学問です。
もし、異常者は異常者で生まれた頃より人でないのだとしたら。
彼らは救われませんね。永遠に心を痛め続けるのですね。
そして被害者は増え続けていくのですね。
でも生まれた頃からなら、それは我々には止められないことです。
それこそ、神の領域に手を伸ばさざるを得ない。
それすらも許されなかった場合は?
人間は行動的で積極的な生き物です。
指を加えて見ている姿は似合いません。
例え間違っていたとしても、無意味だとしても、
行動を起こすのが人間であり結果を学習するのも人間です。
駄目なところを改善しようとしない企業はいずれ潰れます。
いつか人類は滅びるから何してもしょうがないなら
犯罪者を段丘する必要すらない。
人を裁くなら、人を救わなければならない。
と、思っただけです。
ちなみに僕の感情的な考えとしては
既に悪人とされてる人間を態々どうしても悪人と言う人は
まかり間違ったら善人だと思い始めない不安的な人なのかと。
必要以上にそう自分に言い聞かせて必死に制御してるようにしか見えない。
勿論、「悪くない」と言ってる人も然りですが。
なんというか、私自身はこういう人たちの方が恐い気もします。
最近、犯罪心理学に触れる事が多いのですが
そういった話を聞いてると多かれ少なかれ
「生い立ち関係なく異常者は異常者」
っていう人をよく見掛けます。
言いたい事はわかります。
そういうことを言う人は優しくて激情的な人なんです。
被害者のことや自分の身を危惧し人道的なことも考えて
それに背く悪を許せない正義感の強い人です。
でなかったら被害者に近しい人だったか。
特に後者は冷静に犯人を分析なんて心の余裕はありません。
だからそういう気持ちになるのは当たり前で正常です。
でも言ってしまえば、犯人の真理を分析するのも正常です。
大体ごっちゃにしてる人も多いですが
生い立ちや不幸な境遇が説明される時
「可哀想だからって許すのか?」とか
「これは悪いのは彼じゃない」とか
意見する人がいてまぁそれはどちらも間違っていません。
ただ間違っているのはその人物は間違いなく犯罪者で
現実に裁かれて懲罰を受けたり死刑になってたりします。
その人物が犯罪者であることは絶対変えられません。
変えられないのだから今そんな話は無意味なのです。
犯罪心理学が言っているのは別に可哀想ってことではなく、
「どうしたら同じ不幸な出来事が起こらないか」ってことです。
犯罪者だって元は人から生まれた人間の子供です。
犯罪者を裁く者も人です。そして往々にして人を裁く人間は正常です。
正常だからこそ、人を裁くことに心を痛めています。
それは責められるべき気持ちではない筈です。
犯罪者がしたことは許されざることですが、
その元は人であった犯罪者を殺すことに少なからず心を痛めることは
通常の人間ならあって然るべき気持ちなのです。
被害者への気持ちと比べてそっちが勝った、それだけの話です。
だからこれ以上の犯罪者が出ないように考えるのが
犯罪心理学なのではないでしょうか。
心理学は法律と照らし合わせて善悪を決めるものではありません。
何故その様な行動になったか、それは防げたのか。
それを人と向き合って考える学問です。
もし、異常者は異常者で生まれた頃より人でないのだとしたら。
彼らは救われませんね。永遠に心を痛め続けるのですね。
そして被害者は増え続けていくのですね。
でも生まれた頃からなら、それは我々には止められないことです。
それこそ、神の領域に手を伸ばさざるを得ない。
それすらも許されなかった場合は?
人間は行動的で積極的な生き物です。
指を加えて見ている姿は似合いません。
例え間違っていたとしても、無意味だとしても、
行動を起こすのが人間であり結果を学習するのも人間です。
駄目なところを改善しようとしない企業はいずれ潰れます。
いつか人類は滅びるから何してもしょうがないなら
犯罪者を段丘する必要すらない。
人を裁くなら、人を救わなければならない。
と、思っただけです。
ちなみに僕の感情的な考えとしては
既に悪人とされてる人間を態々どうしても悪人と言う人は
まかり間違ったら善人だと思い始めない不安的な人なのかと。
必要以上にそう自分に言い聞かせて必死に制御してるようにしか見えない。
勿論、「悪くない」と言ってる人も然りですが。
なんというか、私自身はこういう人たちの方が恐い気もします。