山地悠紀夫死刑囚の刑が執行された。
粛々と。
母親を殺してから5年後にある姉妹を
「強盗強姦放火殺人」
こいつは「人」としての全ての悪業を行ったわけだ。
よく時代劇でも「火付け盗賊改め」ってのが出て来ると思う。
「火付け」においては「死罪」
「親殺し」ももちろんのこと。
「極刑」をもって償わせるのが至極真っ当である。
だが、この餓鬼を3年のみで野放しにした法律(及び法曹)も同じ罪である。
ある「死刑反対論者」の弁護士が自身が犯罪被害者となった時に
その考えを変えた。
分かるか?あんたらの考えは「人」としての考えではないことを。
2次元的な平べったい紙に書かれた文字の羅列ってことを。
俺は「死刑大賛成論者」ではない。
「終身刑賛成論者」でもない。
「仇討ち賛成論者」
本来「仇討ち」ってゆうのは、
「本懐」を遂げても「死罪」となるというもの。
そこには「人の命を奪う」ことに対する「対価」が伴う。
TVの「水戸黄門」みたいなことはない。
ただそこで「仇」が生きながらえるかもしれん。
だが、世の中は「因果応報」
自分が気付いていないことで「抹消」される。
そういったことを鑑みて「被害家族」が納得する形や抑止力を求めるなら、
YOSHIMOTO DIRECTOR'S 100の「14階段」しかない。
これは見たら本当に分かる。
気分が悪くなる人が出るかも知れんショートムービー作品。
ある男が小学低学年ぐらいの女児2人をコンクリートの壁やらに
頭を打ちつけて撲殺。
それを偶々見ていた老女のアパートへ行き、
老女の足をバット(木材)で骨を砕き動けなくして、
寝たきりの老人(老女の伴侶)共々放火して殺害。
その罪として国家で初の刑罰「人間剥製」を作る。
そこには「羞恥」のみの感情と視力(視認識)だけが残され、
「重犯罪者」として全国を「見せ物」として行脚する。
俺は人としての「尊厳」を軽んじる犯罪に対しては
こう有るべきだと思ってる。
「死刑反対論者」の中には
「人が人を極することは」という奴や、
「冤罪が起こった時に」という奴がおる。
民主主義的法治国家であるこの国であることを忘れてはならない。
批判、反対は結構。
ただ未成熟であるこの国に
犯罪抑止力のないこの国に
しっかりとした意見を述べてくれ。
忘れてるだろうが、
あの
「コンクリート殺人」の一人は再犯を犯した。
あの
「酒鬼薔薇聖斗」も社会に出た。
平和ボケした
「I am japanese」に問う。