こんにちは![]()
初夏のような陽気ですね。
以前もブログで取り上げたことがある、國田房子(108)さん
が他界されていたことを私、今日知りました。
というのも、領事館からメールで100歳を迎える在韓日本国籍の人はお祝いをするので知らせてほしい、とあって、以前國田さん以外に100歳を迎える日本人がいなくて長年國田さんお一人で授賞されてきた話を思い出し、そういえば國田さん最近どうされてるのか気になり偶然検索すると訃報の新聞記事が…。
去年の暮ということですが、そのちょっと前に、領事さんに電話のついでに國田さん(親しげに話してますが私は國田女史とは面識もなくただ敬意で思いを馳せていた立場です)の近況について伺うと、体調崩され日本の娘さんのところに身を寄せておられている、とのことでした。お子さん8人もおられても、韓国人として暮らす息子、娘さんの元には頼みにくいのかな、と勝手に想像もしたり…。
108歳でも施設に頼らなくていい体力、気力は鉄人級…。
領事さんによると、日本人墓地を長年管理されてきた釜山芙蓉会の引継ぎは、民間企業に委託される、とのこと。もう有志でないとお墓の維持が難しい時代でもなくなった、ということですね。
大韓帝国が日本の外地だった時代、日本の皇族から韓国王族にお妃が迎えられたように、両民族間の婚姻が奨励され、留学中の一韓国青年と愛媛で巡り合い結婚。終戦で4人の子供を抱えて一家で釜山へ移住。確かご主人はその当時本家生まれでは慣例の10代前半から”いいなづけ”がある立場だったけれど、國田さんは移住の際 『そんなことは覚悟してましたよ‼
キリッ』と別のドキュメンタリーで吐露されてました。ご主人も”親が勝手に決めた相手だから”と仰ったように記憶してます。
(ワタシ事で恐縮ですが、私の母方の祖母も両親が決めた”いいなづけ”があったのに、家業の仕事場にインターンで奉公に来ていた青年を祖母の両親が気に入ってしまい、祖母と結納へ。いいなづけへは手切れ金を払って別れてもらった、というのは母から何度となく聞かされてました。韓国で手切れ金があったのかどうかは不明ですが…。)
戦後、65年の国交成立まで日本人は無国籍の立場で人権がなく、難民扱いだったんですね。国交が開かれ日本大使館ができてからも飽くなき日本人への人種差別と偏見との闘い。日本に帰国して暮らしたくても”自ら望んで大陸へ行ったくせに何しに戻って来た”と言われる始末。
今は往来する人口が増えて事情が変わって来ているかもしれませんが、在韓日本人は、韓国でも差別されるし、日本でも差別される。両方から冷たくあしらわれる、のが現実でした。
女史は家族から大事にされていた方ですが、家族から除け者にされて路頭に迷う婦人たち=難民=500人以上もの帰国希望在韓日本女性を救助して来られました。日本に帰っても追い返された人には、寄付金を募り、慶州に独居老人ホーム建設に尽力されました。
心からお悔やみ申し上げます。
そして日本から勲章を授与してほしいです。
亡くなられる直前放映されたドキュメンタリー。
