前回からの続き

父が亡くなったときの過去ブログにこう記している。

”今後母が亡くなった後の人が住まない実家も空き家のままで放置、最後の処理も多分、姉、私に押し付けてくることは予想される。”


まだ母は健在だけど、予想はほぼその通りだった。
母を訪問後、姉に電話した。実家を見にこれから行くと伝えた。
その日はもう暮れてたので、どこかに泊まらないといけない。
移動の列車の中で宿泊先に予約した後で姉から連絡が。
義兄が私に会いたがってるし、今日は宿泊先に泊まらずに姉夫婦の家に来てとのこと。
姉が駅で車で迎えに来てくれた。

2年半ぶりに姉と義兄に会えた。
夜の9時を回ってたけど、食事と晩酌を出してくれた。
翌日たまたま実家の掃除に行く予定を入れてたので、一緒に向かおうとのこと。
 

父が亡くなって実家名義は長男の兄になった。
紛れもなく家主は兄。
2年近く母一人が管理してて、その間湿気が強い柱にシロアリが湧いたり、倉庫の壁が一部崩れてその片付けや建物保険加入にも兄は現れず、姉夫婦が対応した。

母が老人ホームに放り込まれ、空き家になった実家は、過去の予想通りしばらく放置されたままだった。
田舎に住んだことのある方はお分かりでしょう。何か月も放置すると草木でジャングルみたいになってしまうことを。高塀なんて簡単に持ち上げられてしまう。人が住まないと、耐久性のある古民家でも定期的に空気を入れ替えないと傷みやすくなる。

だが、放置できないことが起こった。

母が預けられてから初めての冬を迎えた。大寒の頃は積雪のある地域。去年から今年にかけての冬は雪が深かったらしい。
実家倉庫の屋根から大量の雪が道路側に落ちて、通行できなくなってしまった。母や兄に連絡は入っていた。

そこにも兄は駆け付けなかった。親戚と道路周囲のご近所さんが手分けして除雪した。それも手作業で無理な量で、家庭用除雪機でどけたという。知らせを受けた姉夫婦が親戚やご近所さんに菓子箱を携えて頭を下げて回った。

姉夫婦は、母からボランティアの実家点検役を任される形で定期的に母へ必要な服を送ってあげたりしていた。
明治大正時代からのものを捨てない家で、元々モノが多すぎるというのもあるが、残してもしょうがないモノが溢れていた(それでも捨てると両親の癇癪に触るので)から、モノが置いてある床が腐らないように、モノを処分しないといけない。

姉夫婦は定期的な清掃業者に成り代わっていた。
市会議員3期も務めた義兄が嫁の実家掃除手伝わされているなんて姑さんや姉の小姑に口が裂けても言えない。内緒で手伝ってもらっている。

残置物処分業者に任せてしまうと、目が飛び出るほどの料金に、残すべき高価なものまで持って行ってしまうから身内でやるしかない。
義兄も姉もまだ現役で働いている。本当は他所の掃除なんてしてる暇なんかない。
要らないモノ処分が、なんとトラック3台分になったという。
何トンか知らないけど、数十万円かかったとか。
姉の娘婿や、その他親戚まで引き連れて埃まみれの大仕事。

以上のことは晩酌を交わしながら姉夫婦から知らされた内容。
厄介者の兄夫婦の荷物を背負わされた姉の苦労は想像を超えていた。母が預けられてから兄夫婦は一度も実家へ顔を見せたことない、とのこと。

翌日姉と共に清掃業者さながらに道具を積み込み、出発。
草刈り機や高圧温水洗浄機、ゴミ袋、それから買い物カゴ一杯量の水気を絞った雑巾の束(←これすごい便利。使った後の雑巾はそのまま持って帰り、作業着用洗濯機に入れて洗うだけ)を携えて。姪の夫も手伝いに来た。

姉夫婦からある頼み事をされた。
冬に雪かきしてくれたご近所さんと親戚に私からも謝罪行脚をしてほしいとのこと。手土産持って7件に頭を下げた。
ご近所さんは懐かしそうに色々話してくれた。そして、畑で採れた野菜とか返しものまで持って来て下さった。親戚は若干呆れ気味(兄夫婦に謝りに来てほしいんだと)。
心配して、定期的に見回りと草刈りに来てくれていたそう。

冷蔵庫の中や周囲の掃除、漏電防止チェック、座敷、お仏壇周りの掃除、前栽と庭の除草、そして3周忌のお墓参り、あっという間に午前中が終わってしまった。

姉夫婦とそば屋でそばすすって、帰国前にもう一度母を訪ねる時持って行く母の好きな葛湯菓子を準備して姉夫婦とは別れた。

都会へ向かう列車の中で、姉の姑さんが昔言ってくれたことを思い出した。「いくら至らない兄ちゃんでも生きてるからいいやん。私にも2人兄がいたけど、女性も知らない若い年で戦死やで。」 姑さんの姉が家の後を継いだとか。

生きてるからいいやん、かぁ。
周りの厚意に図に乗りまくりの厄介者でも、生きてるだけで有り難がたられるって何なんだろう。

列車は母の施設最寄り駅に到着した。今回買い物もできなかったのでスーツケースはスッカスカで持ち運びは軽くて済んだ。
施設に着いた。母は私が来るとの知らせに、落ち着いて晩ご飯も喉に通らなかったらしく、ロビーで話し込んでいたら、介護士さんが母の食事を持ってきて下さった。

母には今回あったことを全て話した。骨抜き状態の母は、弱々しくそうか、大変やったな、と返事した。
 

小一時間ほど話して、もう行かないとと席を立つと、母がそぞろ歩きでついてきた。
施設の玄関は、介護士が手動で開けないと開かない。
利用者は自分の一存で出られない。
私だけ玄関から出て振り向くと、介護士さんが2人ががかりで母が外へ出ようとするのを止めていた。

母の顔はこんなところにいたくない、で溢れていた悲しい赤ちゃん泣きぐすん

兄の家は目と鼻の先だが連絡もないし、空港へ向かった。
空港近くで宿を取り今回の2泊3日強行スケジュールは幕を閉じた。また流行り病が始まって港が閉じてしまうと、また数年足止め食わされると思い、突発的に行ってきたけど、モノのない実家、警備保障はしてても空き家なので警戒しているご近所さんの存在など、2年半前とは一変していた。

姉夫婦は「趣味は掃除だ‼」と気さくに笑い飛ばしながら、
義兄「誰かがいつでも気持ちよく実家を使えるように整えてさえおけばいい。そして入ってくれる人へはこの程度の掃除で至らないことで、と言ってあげればそれでいい。」と。

私は俗物なのでそんな境地にはなれないけど、酒豪で冗談好きな面しか知らなかった義兄の別の一面を見せてもらえて良かった。

兄がロックフェラーのパシリで、連れ添いの尻に敷かれてて、親の財産を猫ババしようが、身内やご近所にヒンシュク買われてようが、そんなことは知ったこっちゃない。

自分の与えられた持ち場を淡々とこなして惑わされない、これが大事だと私の中で結論に至った。

鬱陶しいことを長々と申しましたが、最後まで読んで頂きありがとうございましたにっこりスター音譜