西日本豪雨の水害、想定外の被害が起き、犠牲者や被害者にお悔やみ、お見舞い申し上げます。
オウムの教祖、逝きましたね。彼を含む7人が同時に執行されたという。他にもまだ6人も残ってる。
当時、私の入教が93年だから、95年の神戸震災ショックに始まるオウムのサリン騒動はそれまでのバブルの浮かれた雰囲気といい、戦後の汗と涙の昭和復興とともに築かれた安全神話もろとも叩き崩すかのように、未経験だが「敗戦後の焼け野原」に置いていかれたような切ない思いになり、ここまで世の中変わってしまうものかと思った。
教会では、ここぞとばかり不安を煽り、99年までの期限付きではあったがノストラダムスの大予言的なインチキ終末論で献金の詰をやってたような記憶がある。 そういうやり方は清平でも繰り広げられていた。1997年の神戸連続児童殺傷事件にかこつけて、壇上で偉そうに役事と呼ばれる儀式で、ワイシャツにネクタイ姿の踊ったり跳ねたりおじさんが、嬉しそうに「日本は沈没しますよ、沈没しますよ、どうしますか」てな具合に目が点になってる世間知らずの主婦達を脅しまくってたっけ。あれ程純粋(無能)に得体の知れない外国人の言う事を鵜呑みにして気がおかしくなる(当時は霊的になる、霊が乗り移る、という言い方をしていた)日本人を見ることなんてあれが、最初で最後。未だにやってるかと思うと溜息しか出ない。
さて、今日の主題はオウム。当時は週間誌や、マスゴミ攻勢で完全に笑いのネタとされていたオウム。
撲滅まであとわずか、の段になり、「次はUCの番」と名指しされていた。まだ撲滅とまで行ってなかったから。
オウムに走ってしまう高学歴者が当時話題になったけれど、この人たち学園紛争崩れの団塊世代と被る面があった。
主体性や当事者意識を奪われた国にある独特の『闇』に気付いて、それを取り戻したい、自分を主語とした主体性で生きたいという、世間一般が妥協妥協して避けてる部分を、正道として歩いているような、彼等の姿、言動からはそんな自分にない勇ましさみたいなものは受けて取れた。例え方向性は間違ってても、自分の言葉でしゃべってたから。
しかし、マスゴミは連日の除け者扱い。同じ日本人として、この純粋な高学歴信者がどこを向いて走りたいのか知りたいのに。
もし、方向性が間違ってたとしても、彼等を犠牲を伴いながら必死で育ててくれた同じ日本人のために、それほどに孤高を目指す人たちを何とか、癒してあげられるような、更正の道はないものなのか、という思いで見守っていた。
だって、同じ日本人じゃないの? 私の故郷でも当時、町役場で調べたら一世帯だけ、家屋、田畑全てオウムに取られた人がいると噂を聞いた。どうにかならないの?戻してあげたいねえ、というのが国民感情だと思う。
「テロ集団に人情なんて要らない」と言う人もいると思う。
しかし、結果的に迫害受けて豹変したのであり、オウムの出家(家出)僧は最初からテロ目的の集団ではなかったように記憶している。
しかしマスゴミはあくまでドヤ顔で審判、そして彼等をその本質、動機、背景を探ることなく、リアル変人、狂人と面白おかしく騒ぎ、司会進行は善良な市民の代表のような顔をしてショーのネタとしてもて遊び、執拗にワイドショーでリンチすることで存在自体を抹殺し、彼等が描く正義を容赦なく崖っぷちまで追い込めば集団で何をするか分からないことくらい想像できるだろうに、面白がって豹変させ案の定、事件を起こさせ、大騒ぎする。北朝鮮が首謀者である拉致問題は小泉政権から暴かれた事件だが、これ戦争原因にも成りかねない卑劣なテロなのに、オウムのように執拗に追求され、追い込まれることがない。なぜならマスゴミ関係者に拉致加害者を肯定的に扱いたいがいる謀反分子が紛れ込んでいるからである。だから依然としてできるだけ触られたくない拉致問題は敢えて取り上げることもなく、オウム死刑囚死刑執行に伴い過去VTRで死体蹴りをし、またそれを喜んで報道する。また、西日本豪雨災害でかなりの被害者、被災者が出ているにもかかわらず、タイ洞窟少年救助のニュースを時間をかけて垂れ流す。
悔しいかな、韓国においてはウリ(我々)の精神を韓国マスゴミは断固として守っている、ように思う。事件や出来事を報道するワイドショー的なものはあるものの、外国人目線のVTRやまとめの紙芝居、変なコメンテーターがこういった社会的離反者を除け者扱いにする、という現象ではなく、事件の真相究明をさっとおさらいし、締めはあくまで「こういった悲劇はウリ(我々)国民皆で解決していきたいと思いますね」と家族的なコメントをする。セウォル号の船長が逃げて若い命が300人近く奪われた事故でも、船会社や船長、航海士による人災はあった、しかしそれで抹殺するだけでなく、イエローリボン運動で「彼等の帰りを待ちましょう」という国民感情の立ち居地を和らげてくれる運動が国民的に起こったことは、韓国マスコミも協賛しているところがあった。帰ってこないことが分かっていても、やりきれない怒りを共有し祈りましょう、的な。
日本より経済が劣る韓国でマスゴミが自国民に対しては品位を守っており、国民を偉そうに審判したり、上から目線でドヤ顔で評価するようなコメンテーターや司会は見られない。一方日本のマスゴミを握る層は明らかに外国人目線、上から目線で国民感情をコントロールしているし、無教養で訳も分からないくせに日本人を審判している。そこには、日本人自治による国の経営を否定し、日本人自体に自信を失くさせ、古来から守ってきた根を絶やしてしまえ的な意思が見られる。日本人でない外来種による「乗っ取り」意図が間接的に受けて取れる。「また国家がいつ暴発して日本国民を騙して戦争犠牲者を出すか、いつも国家を監視しなくてはならない。斜に構えなければいけない」という戦争経験者の意見は分からないでもない。しかし、それこそが逆手に取られ、外国人目線で日本人の思想を常に分裂させ、民族の協調性を奪われているとなると、これは由々しき事態だ。単純比較はできないが、こういう点は韓国には軍事政権時代に「自国目線」の基礎構築で先を越されているように思う。軍事政権時代に組織暴力団による反国家のレッテルを貼られた暴徒がかなり粛清されたらしいから。
韓国に表現の自由はない。日本を利する表現者は摘発されるほどの極端さだ。しかしそれは自国目線の基礎がしっかりしているからであり、国の根幹に関わるものかと思う。敵ながらそれは認めざるを得ない。シナや朝鮮に利する発言をする日本の元政治家が堂々と嘘の日本悪者論で塗り固められた記念館へわざわざ行き、自由に日本に再入国でき、また外患誘致罪で逮捕されない日本。私の生きている間に日本の根幹は取り戻されるだろうか。