以下、憤怒の表情で書き殴るので、お目汚し失礼致します。どこかに吐き出さないと収まらない💢


息子は嫌なことを前にすると、逃げる。

すぐに逃げる。本人は逃げているつもりはなくても、はっきり言ってそれは逃げに他ならない。

学校に行きたくなければ、校門の前で車から降ろしても、回れ右して家に帰ったりします。

塾に行くのが気が進まなければ、塾の目の前まで行っても、回れ右して帰ってきてしまいます。

先生方や親にものすごく心配をかけることすら、頭に浮かばないのでしょうか。

周りの人に多大な迷惑がかかることすらわからないのでしょうか。

(先日の記事通り、2年生になってからは、学校はいまのところ無遅刻無欠席ですが)


何より、やりたくなければ虚な顔になり、岩のように動きません。

習い事にも、気が乗らなければ出かけていきません。


なんなのでしょうか。

もう小学生の子どもではない。ましては楽しいことだけだった園児ではない。

成長するにつれ、人間はやりたくないことも真剣にやらなければならないかわりに、小さい頃できなかったような楽しいこともたくさんできるようになる。



私の子ども時代、逃げると言う選択肢はなく、ただひたすら立ち向かい、私はあまり出来が良くなかったので、敗北ばかりを味わっていた気がします。


嫌でもなんでも、「仕方がないからやるか」と心を奮い立たせ、歯を食いしばったものです。

学校を休むなんて、ありえなかった。どんなに辛くても、何食わぬ顔して学校に行った。電車の中で緊張してお腹が痛くなっても、黙って我慢してちゃんと学校に行った。


宿題が終わらなければ、寝る時間を削りまくって終わらせて提出した。

提出しないで済ますなんて選択肢はなかった。

いくら寝不足でも、遅刻するなんてありえなかった。ギリギリまで寝ていても、気合いと根性で身支度を整えて、間に合う時間に家を出た。

小学校も中学校も電車で通っていたけれど、駅までの急な登り坂もダッシュで駆け上がり、なんとかギリギリの電車に飛び乗り、登校した。



気合い

根性



昭和な言葉は今は好まれないのはわかっています。

でも、「踏ん張りどころ」、「覚悟を決めて」、「腹を決めて」などなど、嫌なことでも切り替えて立ち向かう強さは、人生において必須だと思う。

それなのに、今の生ぬるい学校教育では、遅刻や早退などをしても先生からはまったく怒られず、上辺だけ心配した風な声掛けと、反面、通知表で下される容赦のない評価。


彼の持つ特性上、段取りが苦手で、時間感覚が大きくバグり、先読みもできず、そのくせ異様に器用で過集中な結果、気が乗ると結果が平均を飛び抜ける。そのため自信はあり、先生方の表面上の当たりが優しいから危機感を感じない。

全て嫌なことは先延ばし。

先生方の優しい言葉と裏腹の、腹の中で考えいることには考えが及ばないのか。


逃げるな!

切り替えろ!

やるならちゃんとやれ!

腹を決めろ!

覚悟をしろ!

踏ん張れ!

立ち向かえ!

逃げるな!逃げるな!逃げるな!



たまに大きなエネルギーと共に噴出する、昭和な母の憤り。

怒り。

苛立ち。


それなのに。いつも

糠に釘

暖簾に腕押し


そしてどんな言葉も


馬耳東風

馬の耳に念仏。


「あなたの本気を見てみたい」


何年も前から言っているけれど、一向に気配すらない。

やらされてやるのではなく、自らの意思で腹を決めて覚悟して臨め!!