子育てをしていると、なんだかとても羨ましいなーと思うことがある。
直近では、我が兄妹が通う道場に通う姉妹。
新四年生と、新二年生の姉妹。
下の子が我が子にこちゃんと同じ歳。
この姉妹、ものすごくしっかりしている。
お姉ちゃんの方は、小学校に入るか入らないかという頃から大人には敬語で、それに倣い妹も今はしっかり敬語で大人と話をする。
自分の意見をしっかり文章にして話すことができる。
何より、雨などの悪天候でも、習い事には自分でやってくる。
明るい時間は一年生の妹だけでくるけれど、帰宅が暗くなっていると姉が必ず迎えにくる。
2人で雨の中、長い距離を歩いて来る姿も目にする。2人で助け合っている姿は、とても好感が持てる。
両親共に働いているから、自分たちで時計を見て、決して遅刻しないでやってくる。
公文も自分たちでちゃんと行っていて、宿題もしっかりやる。
それと比べると、登校時間も習い事へ出かける時間も、全て親任せの我が家の兄妹。
出かける1時間前、30分前と、声をかけてもいつもギリギリ。たまにアウト(つまり遅刻)
雨だと車で行きたがるし、晴れていても低学年の妹は親の送り迎えが必須。(危なっかしくてまだ放置できない)
5歳年上の兄に任せることすらできない。
親が違うからね。
比べても仕方がない。
その子たちの親と話すと、「そりゃ、しっかりするわな」と納得する厳しい考え、厳しい環境。
そしてなにより、親の「当たり前」にきちんと合わせられる子どもたち。
私が元来持っていたかなりガチガチな厳しい「当たり前」の基準は、ぴーすけを育てているうちに、どんどんどんどん砕けちり、今や「生きて元気に笑っていればそれで良い」のようなゆるさに変貌した。
だからね、他と比べても仕方がないけれど。
にこちゃんを見ていると思うことがある。
この環境でなければ、もっとしっかりしているのではないか?と。彼女は、環境への順応性や柔軟さが、兄とは違いしっかり備わっている。
でも、兄に対して上記のように「生きて元気に…」と接しているのに、妹にだけ厳しく接するわけにはいかない。
さて。その兄が小学校を卒業した。
4月からは、娘の通う小学校には、良くも悪くも激しく目立つ6年生の兄がいなくなり、その仲間たちもいなくなり。
いつも娘を気にかけ、可愛がってくれた6年生のお兄さんお姉さんたちがみーんないなくなり。
頼れる上級生がいなくなった小学校で、娘は1人頑張る時が来た。
そして、私の仕事が増えたからと年明けに遅ればせながら学童の申請もしたのだが、もちろん落ちた。
なので、学童に落ちた子たちが緊急措置として利用できる「児童館へのランドセル来館」という制度を、娘は利用することになった。
正直、5年前の息子だったら、この娘が置かれた環境は難しかっただろうなと思う。
でも、娘には難しくはない。むしろ楽しめるタイプだ。
さあ、にこちゃん。
甘ったれた一年生は卒業だね。
4月からは二年生。
あなたの力をフルに発揮して、楽しむ日が来たよ。
私には、にこちゃんは、この一年で大きく成長する予感しかありません