僕の両親は、

僕が中二の時に離婚した。

 

離婚の原因は、父の借金

今からもう、40年近く前の話。

 

僕が小学校3年生くらいの時に、

初めての

家族旅行にいく前の日の夜、

 

母からの一言をまだ、覚えている真顔

 

「ごめんね…。

明日の旅行いけんくなったんよ…」

 

僕と姉は、父の車の中で食べる

お菓子の準備をしていて、

とても楽しみにしていただけに、

かなりのショックだった(ように思う)。

 

で、後から

「借金」が原因と知ったのです。

 

どうも、

複数のサラ金業者から借りていて、

わかった時点で、

もうどうしようもないくらいに

なっていたらしい。

 

家も手放し、

校区内のアパートに引っ越し、

 

父は、転職

母は、専業主婦から

慣れない、建設会社での

事務仕事をはじめた。

 

数年後、父は再び転職のため

単身で別の場所に住み、

その後結局、中二で離婚。

 

子供たちのこと(僕たち姉弟)を

守るための決断だった。

 

というのが、

テレビとかでよく見る、

借金の返済を迫る

例のやつね上差し

それから守るため。

 

電話ごしに

「返せんのやったら、

お前が体売れ!」とか

「娘さんがおるみたいやのう~」

みたいな脅しもあったらしい(母いわく)

 

ダメな父と頑張る母。

情けない父と頼もしい母。

お酒もパチンコもやる父と

子供を最優先に自己犠牲する母。

 

この頃の体験が、

「正しくあれ」とか

今の、自分の娘との関係や

僕のお金に対する

ネガティブな「信念」とかに

繋がっているんだろうな~

と思ってる。

 

父と最後に会ったのは、

小学6年生の頃のようだ。

(はっきり覚えていなかったけど、

この前母と話していて、

二人で記憶をたどるとね)

 

最後に会った日から、

僕が29歳になるまで

会うことはもちろん、

電話での会話も一切なかった。

手紙のやりとりもなかったと思う。

(母は、連絡をとっていたらしい。

子供の養育費とかでね。

あとは、やっぱり、父のことを

気にかけていたし、

愛していたのだろう)

 

 

 

そんな関係の父との再会は、

新しい年を迎えた矢先に、

当然やってきた。

 

当時勤めていた会社に、

姉から電話がかかってきた。

妙な胸騒ぎがしたのを覚えている。

 

「お父さんが事故で死んだらしい…」

 

お姉ちゃんの言葉を、不思議と

冷静に受け止める自分がいた。

 

上司に、少し震える声で

淡々と事情を説明して、

福岡の実家に帰るために

早退したのを覚えている。

 

この時はね、、、

実は母も大変な時期だったんですよ。

 

母は、この数年前に

重度の「狭心症」で死にかけ、

その後、大きな手術を数回やっていた。

(この時の不思議なお話も、

また次の機会に!)

 

年末に体調を崩してて、

退院したばかりだったし、

なにより、父が亡くなる10日前に、

最愛の母の父(僕のおじいちゃん)

を亡くしたばかりだったから。

 

とても、父の死を

受け入れられる状態じゃ

なかったんだよね。

 

だから、僕が「がんばらなきゃ」

と思って、いろいろやったな~

 

父は、僕らと別れたあと、

福岡市のどこかで

職を見つけて働いていた(ようだ)

 

借金を返しながら、しかも

「仕送り」もしてくれていた(らしい)。

 

そのおかげで、

僕は大学院まで行かせてもらった。

今となると、ほんと感謝感謝。

 

父が亡くなった時に話を戻すと、

父の死はね、「仕事中の事故死」。

 

物流倉庫で働いていたようで、

フォークリフトでの作業中に

2mくらい?の高さから落下し、

頭部を打ち、すぐに

病院に搬送されたけど、

結局そのまま息を

ひきとったとのこと。

 

僕は、北九州の実家に着くと、

すぐに福岡へかけつけた。

 

会社の社長さんから説明をうけ、

父がいる葬儀場へ向かい

棺桶の中にいる父と再会したのです。

 

17年ぶりにあった父は、

きれいな顔をしていた。

 

懐かしさとともに、

なんか自分に起こっていることが

よくわからない。。。

 

不思議な感じ。

 

哀しいとか

かわいそうとか

辛いとか

そんな感情は、

その時はなかったかな。


ただただ、

「なんなんだろうな、人の命って。

不思議だな…」

そんな感じだったように思う。

 

もう一人の自分が、

父の棺桶の前で立っている僕を

じっとみている感覚。

 

この、もう一人の自分はね、

かなり冷静に見てる。

 

ここで、

悲しい顔をした方がいいのか?

泣き崩れた方がいいのか?

逆に、毅然としていた方がいいのか?

 

そんな時でも、人の目を気にする僕。

「正しい態度」というものがあるのだと

思っていた頃。

 

そんな、中でも

すごく嬉しかったのはね、

 

お通夜、お葬式で、

父が一緒に働いていた会社の

みなさんが、かけつけてくれたこと。

 

そして、

「菊池さんにお世話になりました」

とか

「物静かだけど、

真面目に仕事されてましたよ」

とか

「こんな立派な息子さんが

いたんですね。

がんばってください。」

とか

みんなが、温かい言葉をくれたこと。

 

父は、地に足をつけ、

自分の居場所を作り、

そこで、しっかり働いていたんだな。

 

お葬式が無事終わり、

ホッとしたのも束の間、

その日の夜から次の日の朝まで、

忘れられない時間を過ごすことになる。

 

不思議な体験~父の時計②へつづく ↓