佐佐波多宮・篠畑神社 元伊勢めぐり神社紀行:第8日後編 | 神様が呼ぶ方へ☆きくれいの神社紀行

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こんにちは、紀行作家の保志喜久鈴(ほしきくれい)です。居住地の京都を中心に日本全国の神社や神様を勉強しながら参拝記録を
書き綴っています。

佐佐波多はスカウトのお宮☆保志喜久霊の神社紀行
 

 

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※前回の元伊勢めぐり神社紀行



佐佐波多宮・篠畑神社
元伊勢めぐり神社紀行:第8日後編



令和3年2月12日(金)10時半過ぎ。

阿紀神社高天原照巣

一時間強で急ぎ歩き回って
榛原方面行のバスに飛び乗ります。

終点は榛原駅から東へ
4㌔の郊外住宅街の中。

目指す篠畑(ささはた)神社
そこからさらに東へ1.5㌔。

宇陀川の堤防を悠々と
サイクリングしている
グループを追い越します。

行き来するバス代を考えると
自転車の方が経済的な上に
余裕を持って廻れたハズ。

後悔するのは
いつも祭のあと。


(宇陀市観光協会HPより)

宇多秋宮で四年間
アマテラスを奉斎した後、

倭姫命は大神のお告げを受け
さらに東を目指しながら、

最も相応しい遷座地に
辿り着く様に願掛けします。

“未婚の少女に会わせよ”

願いは叶い佐佐波多(ささはた)
入り口でピッタリの少女に出会い、

彼女を一行に加えて
御鏡と御剣の管理を
申し付けます。

大宇祢奈(おおうねな)

と名乗る少女は恐らく巫女で
地方豪族の娘とも思われますが、

初対面で鍵を渡されるとは
倭姫命の人事は大胆です。

よほど人を見抜く力に
長けていたのでしょう。

(榛原駅前・佐佐波多の入り口?宇陀市HPより)

住宅街はいわゆる“ニュータウン”。
街開きは昭和50年頃と云います。

大阪まで一時間、
憧れのマイホームは
間近に緑を感じる立地。

けれどもスーパーは店を閉じ
商店街にも活気を感じません。

このニュータウンにも高齢化が
容赦なく押し寄せているのです。

(天満台公園・宇陀市HPより)

40分で到着した終点から
一段低い国道へ出ます。

交通量が左程でもなく
歩くのに支障はなさそう。

全国的に云えることですが
高速道路整備の影響でしょう、
沿線の店舗も閑散としています。

後は民家が点在するばかりで
大きな集落も見当たりません。

何だか寂寞としてきました。

“佐佐波多の入り口”

とは現在の街並みと変わらず
榛原駅周辺なのかもしれません。



そもそも佐佐波多宮
異色の存在で、

元伊勢めぐりの原史料
『倭姫命世記』では、

宇多秋宮の段の最後に
少女との出会いに続けて

「佐佐波多宮に坐します」

と到着を示唆するばかり。
奉斎期間も書かれていません。

短期間の頓宮だった様です。

御巡幸地とされている以上
無視する訳には参りませんが
釈然としないのも正直な処です。




徒歩20分、

篠畑神社の石標が立ち
国道から山側に入ります。

薄桃色の神明鳥居は
立派な大きさですが
素っ気ない気もします。

反対側からの石段と出会うと
左手の小さな鳥居の間から
ご本殿が姿を見せています。

最後の石段を登りきると
拝殿も手水舎も千木が伸び
鰹木を載せた神明造。

ご本殿は太い棟持柱が
逞しく屋根を支えています。

中腹に開かれた
誰もいない境内。

張りつめた空気に
背筋がピンとします。

もはや“寂寞”ではありません。

神妙な面持ちになって
御社頭で参拝のお礼を申します。




手前の小さな祠が
摂社佐佐波多姫社
主祭神は市杵島姫命

そしてあの大宇祢奈を
篠畑姫神と称えて
合祀しているとか。

私は手を合わせながら

“先程は大変ご無礼な所感を”

と深くお詫び申し上げるのでした。


(第9日につづく)
 

 

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※ご参考
篠畑神社(jinja-netより)
http://www.jinja-net.jp/sasahata-jinja/index.html


※関連レポ
宇多秋宮・阿紀神社☆元伊勢めぐり神社紀行
第8日前編:“元伊勢中の元伊勢”に朝日射す
https://ameblo.jp/kikurei-jinjakikou/entry-12662131070.html