大原野神社~長岡京跡☆“京春日”の尾根筋を追って | 神様が呼ぶ方へ☆きくれいの神社紀行

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こんにちは、紀行作家の保志喜久鈴(ほしきくれい)です。居住地の京都を中心に日本全国の神社や神様を勉強しながら参拝記録を
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大原野神社~長岡京跡☆京都日帰り神社紀行

《“京春日”の尾根筋を追って》

 

令和元年6月28日(金)、
洛西ニュータウン内で
バスを降り南へ歩きます。

 

目的地は大原野神社

 

前月末に訪れた春日大社
摂関家・藤原氏の氏神様で
平城京と国家の守護神でした。

 

その後、長岡京に遷都した際に
春日社を初めて分社したのが
大原野神社の起源なのです。

 

意外に交通の便が悪いのですが
“京春日”と呼ばれる程なら
行かない訳には参りません。

 


ニュータウンを抜けると
正面に小塩山が見えてきます。
大原野神社はあの山の麓ですから
三笠山(御蓋山)に見立てたのでしょう。

 

今や鉄塔が立ち並んでいます。
御神域の外なのでしょうけれど
山が割れロケットが飛び立つ
“基地”を連想します。

 

尾根筋沿いに御社殿が並び
大極殿まで真っ直ぐ続いていた
春日大社と同じ設計なのでしょうか。

 

平城京跡では三笠山を遠くに臨んで感激したものです。
今日も長岡京跡へ立ち寄る積りです。


山麓まで水田が広がり
私が近づくと白鷺が飛び立ちます。
京都市内に居る気がしません。

 

 

さらに南へ遠回りして
鳥居跡を見物してから
神社最寄りのバス停・
南春日町に着きます。

 

“春日”の名はちゃんと
地名に留めているのです。

 


歩き始めて30分、一之鳥居に到着。
由緒書の隣に“源氏物語ゆかりの地”
なる説明書も並び立ちます。

 

平安京に再遷都した結果
長岡京はたったの10年間。
しかし大原野神社はその後も
国家鎮護の社として朝廷に厚遇されます。

 

藤原氏も一族に女性が誕生すると
天皇の后となれるよう祈願に訪れ
成就すれば御礼詣りに来たんだとか。

 

中宮彰子や父の藤原道長と共に
侍女の紫式部が訪れたのは
そんな事情があったのです。

 


石段を昇るとカエデ類に覆われた
二之鳥居から真っ直ぐ伸びる参道。

 

秋には紅葉のトンネルになる道です。
人気もほとんどありません。
歩く程にゾクゾクしてきます。

 

鯉沢の池の向かいには
瀬和井(せがい)という名の清水。
清和天皇の産湯と伝わっていて
歌枕とされたともいいます。

 

左大臣(藤原冬嗣)、
紀貫之、
大伴家持、
大江匡房。

 

各時代の歌人の和歌が並びます。
実際に訪れた方もおられたでしょう。
ニュータウンや鉄塔がない当時は
風光明媚だった様が窺えるのです。

 


境内に鹿の姿は見かけませんが
手水舎では巻き物を咥えて
御神水を注いでおられます。

 

三之鳥居をくぐり明るい前庭へ。
狛犬の台座に坐すのは
雄雌の鹿の像です。

 

 

中門と東西廊の朱が映えています。
ここでは“プレミア料”を払わずに
本殿近くでお詣り出来るのです。

 

御祭神はもちろん春日大社と同じ。
四つの本殿が並ぶのが垣間見えます。
尾根筋に沿って建っている気配です。

 

中門でお詣りすると微かに
空気が頬を撫でた感じがします。
春日大社では微動だにしませんでした。

 

由緒書によれば
御本殿は江戸時代の再建だとか。
戦国時代には祭儀も途絶えがちになり
社殿もいったん荒廃したといいます。

 

春日の神々もここでは苦労を重ねられ
“威厳”から解放されたのかもしれません。

 


鯉沢の池ほとりの若宮にお詣りします。
春日大社の“御間道”の様な
林立する灯籠はありません。

 

けれども御社殿の朱が若々しい。
参拝の感謝を申し上げると
フッとした風を受けます。

 

御祭神は春日大社と同じく
天押雲根(あめのおしくもね)命
ツンとしていた奈良の若宮様より
人当たりが柔らかな気がします。

 


正面の島には弁財天社

 

池一面に広がる蓮は
白い花がちょうど見ごろで
瑞々しい花弁をピンと尖らせています。

 

蓮の花開く時には音が鳴る
とは伝説らしいですけれど、

 

若宮様と弁財天様には
聞こえないはず音が聞こえて

揃って耳を澄ませておられる。


そんな想像を掻き立てる

風雅で長閑な処です。

 


南春日町からバスで20分、
向日市役所から南東に10分歩くと
史跡長岡宮跡・大極殿公園

 

礎石の場所を示すブロックや
調査結果の掲示物が要所に立ちますが
平城京跡史跡公園には遠く及ばない規模。

 

住宅街の只中にあってここまで
拡張したのは健闘の部類でしょう。

 


大極殿跡の北側に後殿跡の碑。
天皇の控えの間だといいます。

 

この敷地で最も東西に広がる所。
振り返って西へと眼を遣ると
民家の屋根に被さる様に
辛うじて稜線が望めます。

 

“基地”の鉄塔は見えません。
北側へと連なる山並みでしょう。

 

足を伸ばしてみたものの
尾根筋が真っ直ぐ続いていたとしても
体感しようもなかったのでした。

 

 

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※大原野神社HP
http://oharano-jinja.jp/

 

※御祭神は春日大社と同じですが
表記は下記の様に異なっていました。

 

第一殿:武御賀豆智命
(武甕槌(たけみかずち)命)

 

第二殿:伊波比主(いわいぬし)命
(経津主(ふつぬし)命の別名)

 

第三殿:天之子八根命
(天児屋根(あめのこやね)命)

 

第四殿:比咩大神(比売(ひめ)神)

 


春日大社HP
http://www.kasugataisha.or.jp/

 

平城京跡歴史公園
https://www.heijo-park.go.jp/

 


春日大社その1☆表参道から御本殿まで
https://ameblo.jp/kikurei-jinjakikou/entry-12467649000.html

 

春日大社その2☆若宮十五社めぐり
https://ameblo.jp/kikurei-jinjakikou/entry-12478466009.html

 

春日大社その3☆水谷九社めぐり~平城京大極殿
https://ameblo.jp/kikurei-jinjakikou/entry-12482132517.html