※保志喜久玲(きくれい)の神社紀行外伝
開運厄除系☆行政書士時代の
FB投稿を改変したものです。
京都御池通☆瞬殺寺社巡り①
《鬼門を壊す人VS鬼門を守る人》
“Why did Nobunaga Oda stay in Honnou-ji??”
『その時、信長はなぜ本能寺に?』
平成29年10月25日(水)。
市役所から公証役場へ向かう途中、
時間調整で立ち寄った本能寺では企画展を開催中。
権力者と禅寺の特別な関係とか
当時の本能寺は要塞だったとか
昔聞いた事がありますが
私の答え:
『お寺を焼き打ちしたので、
お寺で焼かれる運命にあった!』
歴史ファンに怒られてしまいそうですが
根拠(?)はちゃんとありますよ。
京都の鬼門・延暦寺を焼き討ちした
信長は2年後の武田氏征討の際には
諏訪神社の上社も焼いてしまいます。
解き放たれた邪気は
鬼門が焼かれたままの京都に侵入、
3か月後に本能寺の変が起こるのです。
(以上、ご参考)
御聖典
59~62ページ
公証役場は烏丸通の近くにあります。
本能寺を出て御池通りを西へ向かうと
高級老舗旅館『柊家』を通りかかります。
北東角にある塀の切り込み。
京都の老舗はさりげなく
鬼門の備えをしてるんですね。
『柊家』1818年創業。
幕末文久年間に宿屋が本業に。
京で老舗と呼ぶにはまだ若いかな?
(京都御池通☆瞬殺寺社巡り②につづく)
※素敵な『柊家』のHP
https://www.hiiragiya.co.jp/