努力教とは努力を善とする宗教でる。(あくまでもクララの妄想)
その教義の一つに、「努力している人に悪い人はいない」がある。
日本人の大好きな「休んでない自慢」「寝てない自慢」も
「私は努力をしていますよ、だから悪い人じゃありません、信頼していいですよ」
というメッセージだと思う。
毎朝、新聞配達をしている少年と聞いただけで、「心がキレイに違いない」と誰でも思うし、
毎日、遅くまで部活動(運動部限定)に取り組んでいる学生に悪い子はいないとおもいがちである。
逆に家に引きこもってゲームばかりしている少年と聞いて心が汚いとまでは思わなくても、あまいいい印象は受けないだろう。
よく考えたらなんでなんだろうね。
この「努力している人に悪い人はいない」は裏を返せば「努力してない人は悪い人」になり、生活保護バッシングなんかにつながっていると思う。
不思議なことに努力教の教えは、学生と社会人で少し違う。
学生時代は、「努力すること」に重きを置かれる。
だから、たとえ100位中87位でも、「めちゃくちゃ努力していれば」賞賛される。
例えば、足をけがしているのに我慢して完走した結果87位だったとすれば、多分めちゃくちゃ褒められる。
≪学生時代の評価基準≫
努力して1位・・・・評価される
努力せずに1位・・・・評価される
努力して87位・・・・評価される
努力せずに87位・・・・評価されない
これが社会人になるとこうなる
≪社会人の評価基準≫
努力して1位・・・評価される
努力せずに1位・・・・評価される
努力して87位・・・評価されない
努力せずに87位・・・論外
社会人になると努力教は急に「努力」よりも「功績」に評価を置くようになると思う。
これがあまりにも急だから面くらう。
ものすごくがんばった87位よりも、そこそこがんばった50位の方が重宝されるのが社会人からの時代である。
社会人になると本人がものすごくがんばって87位でも、企業は雇用したくないし、従業員側も一緒に働きたくないのが本音だと思う。
数か月単位で職を転々としていたり、働いてない期間が長かったりした人の履歴書を見て、「採用したい」とは思ってもらえない。
たとえその人にとって、それが精一杯の職歴であったとしても。
「どっかいい職場が見つかるといいね。(うち以外で)」
と思われるのが関の山である。
どうにか就職できたとしても、87位の人間は、他の社員のサポートを受けながらの仕事になるため、企業からすればぶっちゃけコストだし、従業員からは不満しか出ない。
クララの会社でも昼休みで一番盛り上がる話題は、「できない社員の悪口」である。
できない社員にどれだけ迷惑をかけられて大変だったか、反省する態度がなってないのという話題は尽きない。クララもいないところではどんな風に言われているかと思うと、とても怖かった。(そして休職した)
じゃあ、ものすごくがんばっても87位の人間はどうしたらいいのかという問題の答えはまったく出てないし、誰かが着手した形跡もない。
87位なんだから非正規雇用で年収200万以下で我慢しなさい。
少なくとも経済活動という視点だけで観ればいない方がいい人間はいくらでもいて、経済活動に貢献している人に生きやすい社会であるべきだというのもわからなくはない。
わかるけど、やっぱりしんどい。
おかしな話だ、学生時代までは順位は関係ないとか、人それぞれ特性があるとか、(ものすごく上っ面ではあるけど)教育されてきたはずなのに。
まれにではあるが、努力して87位になった学生が、その後も努力を続けて50位以上になることがある。
努力して87位の場合は、そのルートに乗る可能性があるから評価されるとも言える。
ネット上でも弱者は自己責任だから切り捨てるべき、とまでは言わなくても(言ってる人もいる)、「普通の人間」に迷惑をかけている自覚をもって最大限の努力をするべき、という意見と、
弱者であっても、無理なく生活できるようにするのが社会であるべきだという意見と
真っ向から分かれている。
弱者は努力すべきだと言う人に言いたいのは、
多分そういう方はすごく仕事ができる人だと思う、
だったら自分1人でやった方が早いのに、できない人がいるせいで何倍も時間がかかり、
「頼むから給料だけもらって家で寝ていてくれ」
と思ったことがあるはずである。
私はそういう人間は、本当に給料だけもらって無理に仕事はしないのが、仕事ができる方々の邪魔にならず、結果的に日本経済に貢献することだと思うのだがどうだろう。
いや、そもそも、弱者を一掃してしまえばいいじゃないかという極論に走りたい気持ちもわからなくはないが、誰でも年を取るし、怪我や病気になって働けなくなることもある、
働いてない生活保護受給者には強制労働させろとかいう方々も、自分の子供が障害を持って生まれてきたら、強制労働なんてかわいそうとおもうはずだ。
(そもそも、強制労働させるだけの環境を整えるのにものすごくお金かかると思う)
弱者が無理せずに暮らしていける社会の方が、仕事ができる方々も安心できると思うのであるが。
まあ、仕事ができないオバハンの戯言にすぎない。