レイさんのヒーリングでした。
最近また言われた「生きているだけですばらしい」の話をした。
私は「生きているだけですばらしい」は参加賞を無理やり褒める言葉だと思っている。
マラソン大会で1位でも87位でも頑張って走った事実は間違いない。
けど、87位ではクラスの足を引っ張っていることも事実。
1位の人間が「私って足が遅い……」って悩んでいたら「はあ、あなた1位じゃない、何言ってるの!」
って言うけど、
87位の人間が「私って足が遅い……」って悩んでいたら「参加することに意義があるんだよ」って言うだろう。でもマラソンが87位でも、勉強ができたり絵がうまかったりしたら「あなたマラソンは苦手かもしれないけど〇〇は得意じゃない」って慰め方をするかもしれない。
でも、私にはほかに得意なものがあるでもないから「参加することに意義がある」と言うしかなく、
それが「生きているだけで素晴らしいんだよ」って言われる理由だと思っていた。
つまり、私が無能だからこそ「生きているだけで素晴らしいんだよ」ってみんなから言われるんだと思っている。
無能でなかったら言われていないと思っている。
そうレイさんに言ったら
「それは考えがゆがんでますね」
と言われた。
でもレイさんでも、「どうゆがんでいるのか」は説明できないようだ。
クララ「まるで自分が新興宗教にハマっている人みたいです。みんなからそれはオカシイと言われるけど、どうオカシイかは誰も教えてくれない。
例えば、本当に新興宗教にハマっているなら、教祖がお布施を贅沢に使っているとか証拠を見せられて洗脳が解けると思うんですが、私の場合、証拠がみつからないから抜けられないままです」
レイさん「どんな宗教だと思います?」
クララ「うーん、多分、日本で最もメジャーな宗教じゃないでしょうか『努力教』」
『努力教』・・・それは努力することを教義とする宗教であり。努力したものが称えられ、努力しないものは容赦なく断罪される宗教である。日本人のほとんどが入信している(あくまでもクララの持論)
レイさん「為末さんって知ってます? オリンピックに出た人なんですが、努力すれば成功するって努力教を真っ向から否定する本だしてましたよ」
クララ「でもその方は、オリンピックに出ているんですよね。だから多分努力しているって自覚がないだけでトレーニングはしているんですよね。努力教ではそれは努力したとみなされますよね」
努力家には2種類ある。
努力すると決めて努力するタイプと、無意識に努力するタイプ。
努力してオリンピックに出ると決め、毎日ストイックに練習した結果オリンピックに出た人と、
ただ走るのが好きで、毎日走っていた結果、オリンピックに出た人
でも、それは努力教では等しく「努力した人」とみなされ称えられる。
どちらでも、等しく成果を上げているからである。
だがクララはそのどちらでもない。
成果を上げていないグループである。
生きているだけで精一杯で、毎日ダラダラして生きている人と
本当はもっと頑張れるのに、毎日ダラダラして生きている人
それは努力教では等しく「怠け者」として断罪される。
前者はなんらかの病名や障害名がつけばこの限りではないが、クララにはない。
ただの「怠け者」として努力教信者からは、容赦なく責められる。
レイさん「クララさんは努力教信者なんですか?」
クララ「あーどうだろう……、頭では努力教をくだらないと思っているんですが。まあ、両親がそういう人でしたからね。苦手なことがある=努力してないっていう。足が遅いのは、走る練習をしていないからで、勉強ができないのは勉強が足りないからで……」
レイさん「クララさんの両親そーーーーとーーーーですもんね!」
レイさんのクララの両親に対する評価はなかなか厳しい。
クララ「私にはいまだによくわからないんですよ。人一倍自己犠牲の強い両親だったし」
レイさん「エネルギー的には全然違いますよ。子供のためとかいいながら、自分のことしか考えてないやん!みたいな」
クララ「そうなんですね」
レイさん「まあいいや、努力教を完全に抜けていれば誰からなにを言われても気にならなくなるはずなんですが、気になるってことは抜けてないんじゃないですか?」
クララ「うーん……あ、わかった。私は努力教には懐疑的ですけど、自分以外の人間はみんな入信していると思っているからですね。だから私が生きているだけで精一杯だったなんて理解されない。努力しない怠け者って思われると脅えているんですね」
レイさん「それは本当に抜け切れていないんですよ。本当に抜けていれば、努力教に染まっていない人達が集まってきますよ」
クララ「そうなのかな……」
ヒーリングに入り、
レイさん「体に触れていると、エネルギー的には存在する意味はけっこうありそうですけどね」
と言ってくれた。
涙が出た。
順調に順位下がっております……