ちょっと霊的な事に興味が出ると、瞑想をするようになる人が一杯いらっしゃいます。

ヨガ瞑想ではチャクラに対する意識を求められます。

ヨガから発展していると思われる仏教の観想でも、チャクラと言う言葉は使いませんが、チャクラと呼応した身体の場所に気を集中する事を教えられます。

 私は東洋医学の経絡も、チャクラに呼応しているのではないかと思っています。東洋医学では、身体と心が混然一体となっていて、一人一人の個の宇宙のバランスを取る事が大切なのです。

上矢印

 此れは小さい時から東洋医学のお世話に成って居た私の、直感的な考えです。

何故か色々な御縁で、私の両親は各業界の偉い方・有能な方と知り合いでした。両親共に市井の一市民でしたけれど、不思議と好かれて大事にして頂いて居ました。

西洋医学一辺倒な当時の風潮でしたが、医学会の一匹狼的な博士様は、東洋医学の思想を重く見ていました。

「レントゲン写真だけ見て診断下すような若造はイカン!患者さんの顔を見て、眼の色を見て、肌と血管の色を見なきゃ、診断なんて下せないんだ。其れを教えられない今の医業はイカン!」こんな事をお酒を飲みながら仰っていました。

    上差しその通りなんだよな!旗

 話が逸れましたが、「スピ」と口にする人は言霊と言う事を考えて欲しい。仇名みたいに縮められて呼ばれたら、霊界は気持ちよくない。「スピリチュアル」と言う人も、現象だけを取り立てて利用しているような気がして、私は余り気持ちが良くない。いわゆる「スピリチュアル」の人達は簡単に瞑想を伝授するし、其の時に「チャクラ」を繋げてくる。しかし、チャクラの根本迄は教えてくれない。

   上矢印

 「チャクラ」を真摯に学んでいる人にとっては、余り嬉しい事では無いと思う。

 

 瞑想と言うのは、生半可な解釈や伝授で行うと良い結果は期待できない。

「スピリチュアリズム」の門を潜って、人間の魂を知り、霊界に対する謙虚な心を養い、チャクラの正確な原理や調え方を頭に叩き込んでからでないと、「井戸の怪物」の蓋を開けてしまったり、「浮遊する悪心」に共鳴したりしてしまう恐れが有る。

 グラサンハートスピさんに瞑想を伝授され、却って混乱に陥ってしまった、私の経験からの忠告です。

 

 人間の心と言うものは、雑念に満ちているものです。特に女性は一度に複数の事柄を処理するような脳の構造に成っているので、瞑想中は交通整理が大変です。「オーム」と言って結跏趺坐している最中に、「今夜のおかずは~~~」てな思考がマントラのリズムに乗って浮かんでくる。

或いは、「明日の通勤の服は~~~、後三日ぐらいで車にガソリン入れに行かないと~~~」等々www

 雑念が湧いてきて当然なのです。其れ等を受け流していく内に、スコーーンと、身体の芯から軽くなる瞬間を必ず経験できるように成ります。

 

  瞑想は自分を観察して総て受け入れる事

  チャクラを理解する事は自分を昇華する事

  

 

 

チャクラの色は虹の色虹