父の誕生日、実家に電話をしました。

実家は関西なので、ひととおり、父とお互い、ツッコミあい、笑える話などもしたあとに、母に電話を代わってもらいました。

母には、妊活のために休職してることも伝えており、かなり詳細に状況は伝えてきています。

母は、一貫して、妊活について、ニュートラルなスタンスです。
私がやりたければすればいい、二人が望む赤ちゃんがきてくれたらいいけれど、どうなるかはわからない、授かりものとして捉えよう、と、ブレずに冷静に見守ってきてくれました。

先月、卵が複数貯卵できたこと、内膜炎の治療が終わったらお迎えすること、などを帰省時に話したときにも、ふんふん、と聞いてくれていました。もっと喜んでくれたら私も盛り上がれるのに、とちょっと思ったくらい、フラットなスタンスでした。

その後、内膜がうまく剥がれず移植が伸びたことを、私がうまく受け止めきれず、母に電話するのがなんだか気が重く、伝えられずにいました。

今回の電話でやっと伝えると、母は、

そうか。と言いました。そして、

なんか、私は、赤ちゃん、来てくれはる気がするけど。来てくれはったら嬉しいし、そうじゃなくても、どちらでも、二人が幸せに暮らせてたらそれでいいやん。
あと、師走はバタバタするから、こうなったら来年、年が明けてから、新たにスタートしてもいいんちゃう?

と、言いました。

まさかの、自主的お休み期間延長のアイデア!?まで出てきました。

私は、

いやいや、体調整ったら、年内に卵をお迎えするよ!

と言いながらも、身体の強張りが、奥底からほどけはじめたように感じました。

いっそのこと、卵を迎えるのは来年からにしたら、という母の言葉は、他の人にしたら、妊活について何も知らないから言えること、とも感じるかもしれません。

でも、前に前に進みたい私の性格を深く知り抜き、休職から復帰したくなっている私の今の状況も理解した上で言う母の、

ここまできたら、焦らんと、どっしり構えたらいいやん。二人が仲良く、力を合わせて暮らせていたら、もうそれでいいやないの。

という言葉は、わたしには、魔法の言葉のようでした。

母は、わたしの人生の、明らかにピンチのときも、一見普通そうでも沈んでいるときも、何度か、魔法の言葉を、ハグを、私にくれてきた。私にとり、特別なひとです。

この人に、わたしは愛されていると、ずっと思って、感じて、生きてこさせてもらえた。ありがとう。そう、思いました。

わたしは、残念ながら?母とはだいぶん違うキャラです。
でも、こどもの頃から、誰かのお母さんになることに強く憧れ続けているのは、この人の娘として過ごしてきたことが、大きく影響しているな、そう思いました。

母からもらった言葉は、魔法のように私の強張りを解き始めた。そのことを、忘れずにいたいと思いました。