こんばんわ。






本当に鹿島アントラーズACL制覇ありがとう。








ということで、思っていること吐き出します。はい。(大岩監督風)










最近、情報編集力や、よのなか科で有名な藤原和博さんの著書を読んでいます。(まだほんの数ページだけ…)





今の教育は、主体的・対話的・・・のアクティブラーニングがしきりに重要視されています。






学生の頃、情報編集力という言葉を使用している藤原さんの記事を見て、





今の指導要領が目指しているものって、






まさに情報編集力なのかなぁって



思いました。(それは何なのよということは、長くなるので割愛します。いつも言語化を意識してはいますが、ここでは本当に勘弁。)






そこで、





今私が考えていること。








子どもたちにそうした人間になることを目指していくためにかけたい言葉。







「発信者になれ」





ということです。







よのなか科の授業では、プレゼンがあるそうです。






これは、ロジカルに相手を説得する作業が必要。だと思っています。




つまり、相手を納得させる力をつけなければならない。








これは、学校(というか生きる上)で必要な力だとつくづく思います。




学校では、しばしば、目的を見失っているように思うことがあります。


なんで勉強しなきゃ?なんでこんなことするの?

社会から見たらそんなことが多いです。(これを改善しようとしているのが新指導要領だと思うのですが。)





学校生活をよくするために。
集団生活をよくしていくために。
ひいては社会生活をよくしていくために。



発信者にさせなきゃいけないと思います。


それは、主体的に学んでいくこともそういうことですが、





集団でいればしばしば起こる仲間に対しての嫌悪感。いじめにつながるような不快感。


これらは、自分が受信者になっているからではないだろうか。




そう思ったのです。






例えば、「こいつキモ。まじ関わりたくない。」は、




キモいとされる相手の姿を受け止めている状態。


すでにその時点で受け身だと思うんです。





これまでの詰め込み型教育にも現れる知識偏重の学習。





これも、溢れる知識を受け止めている状態。





「関わりたくないわ」って発信してるじゃん。って思うけど、






これは自己の感情に頼ったものであり、他者を納得させるようなロジカルなものではないですよね。










だから、子どもたちにはロジカルに考え、納得させていく力を身につけていってほしい。






そんな教育は学校だけでできるのか?






これを生きる力と言うのなら、情報編集力といったほうが良いのならそれですが、





生きる力塾


情報編集力塾




こんなのを作っていくことも求められるのではないかと思います。もちろん、学校で果たしていかなきゃいけないとも思いますが、これまでの基礎基本の教育も捨てられていないことを考えると、ますますパンクするところも出てくると思います。本当はこの二つを合同的に教育していく必要があるんだろうけど。






週4日サッカークラブ、月1,2で情報編集力をつける。


そんなサッカークラブが出来たらなぁ。と思ったりします。






なんとなく、見えていそうで見えていない。笑




そんな最近のぼくでした。
また宜しくお願いします笑



sempre amio