今日は春画について話そうかと思います。

 

普段はヤフオクで手に入れた肉筆浮世絵(無名な作品が多く、大したものでは無いのですが)

を中心に、浮世絵全般を書いているのですが、今まで一度も春画についてはふれてきませんでした。

 

なぜなら、やはり露骨過ぎて、あまり堂々と人目にさらす物ではないと感じているからです。

 

しかし昭和の浮世絵雑誌などを見てみると、春画が良く特集されていて目玉記事になっていることからも、浮世絵愛好家=春画好きの人が多いのは事実なのでしょう。

 

浮世絵と春画は切っても切れない物とも言えます。

「浮世絵の祖」とも言われている菱川師宣は、肉筆浮世絵で有名な「「見返り美人図」を描いた浮世絵師ですが、その画業の大半を春画が占めていたとも言われています。

 

浮世絵師であれば春画は避けて通れないものだったのです。

当時の一流の浮世絵師は皆、手掛けています。

 

歌麿、北斎、名所絵(風景画)が有名な広重なども例外ではありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

春画(しゅんが)とは、特に江戸時代に流行した性風俗(特に異性間・同性間の性交場面)を描いた絵画のことです。

 

浮世絵の一種でもあり、枕絵、秘画、ワ印とも呼ばれますが、本になっている物は、艶本、好色本、枕草紙とも呼ばれています。

 

室町時代から江戸時代にかけて日本の絵師達により春画は描かれるようになりましたが、これは中国から伝わった性的題材を描いた絵画の影響だと言われています。

 

最初は肉筆画だったので高価な物で、一般の町人などが買える物では無かったでしょう。

肉筆の春画絵巻などは、裕福な家や身分の高い家の娘が嫁入りする時の、嫁入り道具の一つとして注文して描かせて、密かに道具の中に忍ばせて持たせたと言います。

花嫁の性教育の為の教材として使われたのですね。

 

 

また戦国時代の春画の利用法の一つとして、災難よけの一種のお守りとしての役割が挙げられます。

 

武士が出陣にあたって鎧の下に男女性交の図を、厄除けの守りとして忍ばせていると、必ず勝つとの俗信があったといい、この絵の事を勝絵(かちえ)と呼んでいたと言います。

 

江戸時代になると商人が火事を避ける願いを込めて蔵に春画を置いたといいます。

 

これは天明の大火の時に、春画の名手としても知られる大阪の浮世絵師の月岡 雪鼎(つきおか せってい)の描いた春画が置いてあった蔵だけが、焼けずに残っていたと言う噂が広まり、この逸話から雪鼎の春画は火除になると評判になったからだと言います。

 

 

 

 

 

 

木版画としての春画が作られるようになったのは、1655年に京都で出版が始まったのが最初でしたが、1800年頃までには上方での春画の版行は終わり、ほぼ全て江戸へ移行しました。

木版画の春画の登場で多くの本が出版され、庶民でも買えるようになりました。

 

井原西鶴の浮世草子「好色一代男」が大流行し、好色物と呼ばれるジャンルが流行し、それにより春画の需要が増える事になります。

 

しかし享保7年(1722年)享保の改革により、幕府により好色本が禁止されます。

それでも需要があるため、これより春画は店頭には置かずに隠れて販売されることになりました。

そして、それまでは墨一色摺りの春画も錦絵の開発により、多色刷りの色鮮やかな作品が寛政のころから本格的に登場しました。

 

 

 

 

 

 

 

浮世絵は幕府の改革において、何度も規制を掛けられて強い取り締まりを受けていました。

天保の改革では、色摺りは7、8回までとして、値段は1枚16文以下にするように定められました。

しかし、この価格では採算割れすら招きかねない厳しい状態だったといいます。

 

それに対して春画は、元々隠れて販売している物なので、幕府の規制など関係ありませんでした。

そのため、浮世絵の最高の技術を駆使して贅沢に作られた作品も存在していて、絵草紙屋の店頭では見ることの出来ないような極彩色の作品が作られました。

 

中には100度摺りを超える物も有り、贅沢な絵の具を多用するだけではなく、ありとあらゆる浮世絵の技法が駆使され、艶摺り、ボカシ、空摺り、きめ出し、雲母摺り、などの手間のかかる摺りが多用され、金銀、青貝の粉末などの高価な素材も使われました。

 

すべての春画がこんな贅沢な作りの物ではありませんが、コストを考えずに制作できた地下出版の春画だから出来たことで、奇しくも浮世絵の最高の技術を結集したような作品も誕生する事になりました。

 

 

 

 

 

 

春画は正規の出版本ではなく、幕府の規制を無視した違法な物でしたので、浮世絵師の名前などが分かってしまう落款などは、そのまま入れられないので「隠号」を使いました。

 

北斎の隠号は、「鉄棒ぬらぬら」 「紫色雁高」(雁高とは亀頭の高さのこと)

 

広重の隠号は、 「色重」

 

英泉の隠号は、「淫斎白水」(みだらな白く濁った水) 「淫乱斎」

 

国芳の隠号は、「一妙開程芳」 「三返亭猫好」 「五猫亭程よし」 「自猫斎由古野」

 

皆かなりふざけた名を名乗っていて、少なくとも浮世絵師達は春画を芸術作品とは思っていなかった感じですね。

 

 

春画を見て芸術品と感じるか、感じないかは人それぞれでしょう。

浮世絵が好きな私でもエロ浮世絵だと思っているのですから、一般には受け入れずらい物だと思います。

 

 

春画が海外に紹介されると、ジャポニズム時代のフランスの美術家たちは優れた絵画として高く評価したといいます。

美術評論家ジュール・ド・ゴンクールは、いち早くその芸術性に言及したとも言います。

 

芸術家の目を持っていれば、芸術に見えるものなのでしょうか。

 

海外の美術館には春画を所蔵している所は多いのですが、一般には非公開です。

 

それでも春画の企画展などが行われる事も近年では時々はあります。

これからの春画の評価によっては、お近くの美術館などで催される事があるかもしれませんね。

 

 

 

   

 

 

 

今回紹介した春画は、私がヤフオクを知り肉筆浮世絵に興味を持ち始めた頃に落札したもので、たしか肉筆春画の画帳として出品されていた物です。

 

結構手の込んだ画帳に絹本に手書きされた春画が貼り付けられた物で、江戸時代の物ではないとは感じたものの、当時は肉筆浮世絵に興味を持ち始めた頃で何も知らない状態でしたので、明治時代の物でも手書きなら価値があるかと思い手に入れました。

 

 

 

 

 

物が届いて見てみると、どうも肉筆ではないようだと気付きましたが、工芸品でも着物の模様などは手書きなのではと思っていました。

 

 

 

 

今回、写真を撮って拡大して見直してみると、模様も印刷のように見えます。

結局近年に作られた工芸画のようです。

 

この春画帳は北斎の画風を感じるものですが、北斎の春画の模写なのかは不明です。

ただ同じ絵を見つける事は出来なかったので、オリジナルの可能性が高いと思います。

 

ヤフオクなどでは工芸画を肉筆として出している場合もありますので、注意が必要な時もあります。

私も最初の頃は何回か騙されました。

 

 

 

* 当初はフルサイズの春画の大事な所だけモザイクを入れて掲載する予定でしたが、後で考えたらアウトになりかねないので、急遽トリミングした画像にしました。

その為に、つまらない画像になってしまいました。