昨日に続いて高崎の清水寺にある、歌川国芳の門人の歌川芳輝の描いた絵馬額を紹介します。
高崎の市街地から約2キロほど東にある観音山の麓にある520段ある石段を登ります。
普通は車で標高190mの山頂に登って白衣観音にお参りするのが一般的ですが、紫陽花の季節なので体力に自信のある人は(健康の為の体力づくりの為にも)歩いたほうが良いでしょう。
私の行った頃は石段には紫陽花もあまり咲いていなかったので、7月上旬の方が咲いているかも知れません。
ちなみに観音山は江戸時代の頃から市街地から近いので、避暑地として賑わったそうです。
この石段の上にある清水寺の観音堂から、観音山と呼ばれるようになったと聞きました。
この観音堂のまわりに歌川芳輝の絵馬額16面が飾られていますが、長年の風雨の影響などにより痛んでいて、絵の具の剥落なども激しく現在では何が描いてあるのか分からない状態でした。
昨日は8点紹介したので、残りの8点を紹介します。
№9 かなり横長の絵馬ですが左半分は殆ど絵の具が剥落しています。
右側は馬に乗った武将を先頭に大勢の武士が突進している模様が描かれているようです。
昨日のブログで書きました16の題名の中から選ぶとすると、「平忠盛」か「田村麿将軍東征」が近いかなと感じます。
「神武天皇東征」だともっと古代の話なので、甲冑などが違うと感じます。
№10 これは大勢の同じ着物姿の女性が行進をしているような絵です。
「仕立職娘連中」が一番近いように感じます。
№11 これも右側に馬に乗った高貴そうな人物と武士の集団、左側には兜を取って跪いている武士の姿。
その上の方に太陽でしょうか、もしくは中心に神様がいるのでしょうか、印象的な光彩が描かれています。
甲冑のデザインが平安時代後期の物とは少し違うように描かれているようです。
馬に乗っているので「神武天皇東征」では無いと感じます。
そうすると「田村麿将軍東征」か近いかなと感じます。
№12 これは人物が何人も描かれていますが、良く分りません。
左上の二人の人は足場の上で何か作業をしている様にも感じますが、そうすると「橿原皇居造営」が近いのかもしれませんが、全く自信は有りません。
№13 人物が大きく描かれていて何かを破壊している様に感じます。
左側には観音様でしょうか、人物に力を与えているようです。
これだけ人物が大きく描かれているので、題名には人物名があると思うのですが、16の題名の中にあるのは「平忠盛」です。
しかし平清盛の父親の平忠盛に、このようなエピソードがあったとは聞いた事がありません。
服装も軍事貴族にしては合っていないと感じます。
そうすると「田村麿将軍東征」か「神武天皇東征」ですが、二人とも髪型や服装から違うように感じるのですが、他に16の題名の中に当てはまりそうなのは「観音霊験」ぐらいでしょうか。
しかし人物が大きく描かれているので、やはり人物名が入っていると推測して16の題名から一つを選ぶとすると神話の時代の「神武天皇東征」か一番近いのでしょうか。(全く自信ナシ)
普通、神武天皇というと八咫烏か金の鳶を描くと思うのですが。
武者絵を得意にしていた国芳の弟子だけあって、勇猛な人物を描いていて分かりやすいのではと思っていたら、この絵馬額が一番悩みました。
№14 中央左下に座っている人物の前に書物のような物が置かれていて、周りの人も本を見ているように感じますので「応神天皇紀王仁来朝」が近いような気がします。
また右上の方に赤い色の着物の女性が描かれていて、中央左下の人物が女性の方を向いているので「神功皇后紀新羅朝貢」の可能性も考えられます。
王仁(わに)は、応神天皇の時代に辰孫王と共に百済から日本に渡来し、千字文と論語を伝えたと伝えられる伝承上の人物。
№15 これも良く分りませんが女性が座っているような感じでしょうか。
すると残りの中から選ぶと「麗人採菊」でしょうか。
№16 これは「韓信忍耐」で間違いありません。
韓信の股くぐりを描いた作品です。
韓信は古代中国で最も傑出した軍事家ですが、若い時に町で無頼の青年達に絡まれて、「オレを殺して行くか、それとも股をくぐって行くか選べ」と詰め寄られます。
殺してしまっては自分も死刑になってしまいます。
大志のある者は目前の小事には忍耐して争わないという例えとして、忍耐強さへの教訓になっています。
観音堂には歌川芳輝の絵馬の他にも狩野常信の大絵馬一対があります。
この作品は縦位置の額絵なので歌川芳輝の作品では無いと思います。
左側に高崎本町と書かれているようです。右側にも何か書いてあったようですが殆ど消えています。
馬に乗った武人が描かれていますが、大きな青龍刀を持っているので関羽かも知れません。
これが狩野常信の大絵馬の一つなのかは分かりません。
今回は高崎の清水寺の回廊に飾られている絵馬額を紹介しましたが、その痛み様に驚いてしまいました。
しかもカメラで撮影する時にピントが合った時の緑のランプが付かなかったので、各一枚しか撮影しませんでした。
今思うとアップで何枚も取っておけば、もう少し良く写っていたかもと後悔しました。
昔に撮った奇麗な頃の写真などが残っていれば、比べて見てみたいものです。
有名な浮世絵師の作品ならば保護されていたと思いますが、残念ながらここの絵馬額は少しずつ風化して消えていく運命にあるようです。
昔の日本の記憶が消えてしまうようで寂しい事だと思います。