礒田湖龍斎 「鍾馗図」
礒田湖龍斎の浮世絵版画で柱絵と呼ばれているものです。
柱絵については前にも説明していましたが、江戸時代の質の悪い柱などの装飾などの為に簡単な軸装に仕立てたりして掛けたものです。
その為に縦長のサイズが特徴ですが湖龍斎は柱絵を得意としていました。
鍾馗は中国に伝わる道教の神様で、魔よけの効験があるとされ、旗、人形、掛け軸として飾ったり、屋根の上に鍾馗の像を載せたりする風習があります。
礒田 湖龍斎(いそだ こりゅうさい)
生没年不詳ですが鈴木春信亡き後の安永から天明期(1772-89年)に活躍しました。
明和後期にデビューした頃は鈴木春信の門人ではありませんが鈴木春広と名乗り、当時その影響を強く受けた絵師の中の一人でした。
当初は細身で可憐な春信風の美人画を描いていましたが、安永頃になると湖龍斎と改名して独自の画風へと変化していきました。
代表作として「雛形若菜の初模様」があげられます。
晩年は絵師として名誉な位階である法橋を与えられ、肉筆浮世絵を多く描きました。
肉筆美人画を見たい人はこちら 礒田湖龍斎 「遊女道中図」 東京国立博物館蔵