イメージ 1
 
歌舞妓堂艶鏡  「三代目市川八百蔵の梅王丸」
 
 
 
 
舞妓堂 艶鏡(かぶきどう えんきょう)という浮世絵師の名は、あまり広く知られてはいない存在だと思いますが、私も一年程前に初めて知りました。
もしかしたら作品は見ていたかもしれませんが、あまり役者絵に興味がなかったので気付かなかっただけかもしれませんが。
 
役者絵7点が確認されているだけだそうですが、「三代目市川八百蔵の梅王丸」や「二世中村仲蔵の松王丸」を見ただけでも、この絵師は只者ではないと感じました。
やはり誰もが感じると思いますが、とても写楽に似ています。
 
東洲斎 写楽(とうしゅうさい しゃらく)とは突然現れ約10か月の短い期間に役者絵その他の作品を版行したのち、忽然と姿を消した謎の絵師として知られている浮世絵師です。
写楽の正体は誰なのかと色々と論争がありましたが、現在では阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能役者斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべえ)とする説が有力となっています。
 
 
 
 
イメージ 2
写楽  三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛
 
 
 
写楽は寛政6年(1794年)5月から翌年の寛政7年(1795年)3月にかけて作品を版行して突然消えてしまいます。
歌舞妓堂艶鏡は、まるで入れ替わるように寛政7年(1795年)秋から翌年にかけて半年ほど作品を描いています。
写楽が消えてから急に現れて、しかも写楽の様に短い期間で消えてしまいます。
画風が似ているのは写楽の影響を受けたというよりも、何か関係が有った人物なのか、または写楽と席を隣にして絵を学んでいた人物なのではと、色々と想像をしてしまいます。
 
実は歌舞妓堂艶鏡とは、写楽と違って謎の絵師ではなくて歌舞伎狂言作者の二代目中村重助だといわれています。
初代中村重助の養子となり、明和元年より中村座において仕事をし、同六年には森田座の立作家となる。
彼の著書とされる「芝居乗合話」は、芝居の故実や年中行事をまとめたもので当時の興行の様子をうかがうことができます。
 
歌舞妓堂艶鏡の錦絵には印章、版元、商標などはありません。
「浮世絵類考」では役者似顔を描いたが、拙劣であったため半年ほどで世に行われなくなったと、書かれているそうです。
作品の数は非常に少なくて、出てくれば非常に高額で取引されるそうです。