お金は使い方によって1000円のお金が500円にもなるし、1500円にもなる。



これは、生きたお金の使い方の事を母は言いたかったのだと思います。


この前、地元ではちょっとした有名ステーキレストランに友人と行った時、あるお客さんが支払いの時に「えっ、そんなにするん?お金あるかな?」と大きな声で言っていました。その人と一緒に来ていた人は、「あっ、私も出します。割り勘にしましょう。」と言っていましたが、「冗談、冗談。それくらいのお金は持ってるで。」と言いながら払っていました。それだけでもビックリなのに、レジ横に置いてあるエチケットキャンディーを「これも代金の内や…」と言ってたくさん取っていました。


私と友人、私たちの前でステーキを焼いてくれていたお店の人、他何人かのお客さん・・・その人が帰った後でも、みんなしばらく嫌な気持ちは続きました。

でも一番嫌だった人は、その人と一緒に食事をした人だったと思います。


決して安くはないステーキを御馳走になっていながら、彼は御馳走してくれた人に心からは「とても美味しかったです。今日は本当にありがとうございました満」とは言ってないと思います。

御馳走した人も、お金を出したのに自業自得とはいえ、なんだか可哀相しょぼん その人も、もう少し生きたお金の使い方をすればよかったのに…と思います。


スマートなお金の出し方・・・って言うのでしょうか?

さっと支払って、「ご馳走様でした。料理が美味しくワインがすすみ、酔ってしまって大きな声になってしまいご迷惑をおかけし申し訳ありませんでした。」の一言があれば、酔っ払いに寛大な国民ですから、周りの人も苦笑いくらいでまた自分達の会話に戻ったかもしれません。


他にも払えなくないのに、自治会費をいつも出し渋りして、何度も催促してようやく最後に持って来る人より、周知後すぐに持って来る人では、同じ金額でも受け取る側はかなりの差があると思います。

(今話題になっている、払える家庭環境なのに給食費を払わないのはもっての外ですパンチ!)



人との食事一つとっても、年上であったり年下であったり、おごったりおごられたり、割り勘にしたりと、スマートなお金の出し方って歳を重ねるごとに、だんだん難しくなっていくように感じられ、案外難しいものなんですあせる

がま口財布 おまけ がま口財布 

毎年買う『年末ジャンボ』宝くじは、3000円が300円になってしまう汗

あっ、これは関係ないですね ・・・ 失礼しましたNG




心が動かなければ人は動かへん。



今この言葉は、私の座右の銘になっていますチョキ


「そんな事はない!人はお金や物や地位・財産で動く!」と言う人もいると思いますが、それらはたとえその人がこちらに来たとしても、また他にもっとよい条件があれば、スルリとそちらに行ってしまう・・・。


安月給なのに、その仕事に生きがいを感じている人は心が動いてるのかもしれません。 休みもあまり取れず、残業が多くても、社長の人柄に惚れこんで、毎日頑張っている人もそうでしょう。

私は心が充実してる時、少々頑張っても肉体の疲労はあまり感じないように思うのですが、みなさんはどうでしょうか?


毎年夏に行われる日本テレビの「24時間テレビ」も、全国各地で頑張っている人達に私たちは心を動かされ、募金会場に足を運ぶのかもしれないし、ある人が難病で、海外でないと手術できないからその募金活動にボランティアで携わる人もそうだし、募金する人もみんなお金(自分の利益)でなんか動いてないです。唯一つ、心が動いたから体が動いて行動したんだと思います。


先日ドイツで、主要国首脳会議(G8サミット)がありました。最大のテーマの地球温暖化問題では立場や自国情勢の中、各国それぞれの思惑で、心より頭が動いてしまった感がありましたが、それは致し方ない事なのでしょうか?

私たちも、一人ひとりが真剣に温暖化問題に取り組まなければいけないと思いました。今はこんな小さなPCで、世界情勢が瞬時にわかる時代にもっと視野を広げて地球規模で物事を考えないといけない気がします。

心は動かすものでなく、もしかしたら自分の意思より先に動くものなのかもしれません。その時、人は計り知れない能力で行動するのかもしれないと思いました。



満月 おまけ 満月

温暖化問題を偉そうに言ってみても、こんな夜分に明々電気を点けてPCとニラメッコしている私ってイケてねぇ~叫び

大きな事でも、それを成し遂げるには、まず小さな事から始めるものですよね♪

と、いう訳なので、もう寝ますビックリマークお休みなさいぐぅぐぅぐぅぐぅ





16年・・・じゅうろくねん・・・長いようで短かった年月・・・


6日の水曜日、ある一人の舞台人が退団発表をしました。

宝塚の花組トップスター春野寿美礼(はるのすみれ)さんです。


17年前に高校の同窓会があり、それが大阪で開催された花博と宝塚のツアーでした。その時に宝塚初観劇して、一緒に行った友人と「来年は宝塚温泉で一泊しよう!」と決め、翌年の四月に彼女の初舞台を観た時からのファンでした。

最初は名前もわからず「八重歯のあの子」と呼んでいました。ダンスは得意でないであろう彼女が後ろの端の片隅のポジションでもニッコリ笑って一生懸命に踊っている姿は大勢の中でもすぐ見つける事ができました。


私はファンというよりどちらかと言うと、彼女の親戚かご近所のオバちゃん感覚で応援していました。 「前の時より一列前のポジションで踊っているわドキドキ」と喜んだり、「大分、男役らしくなってきたなOK」と満足したり、「なんだか肌が荒れているみたいだけれど体大丈夫なのかな?」と心配したりするけど、FCにも入らず、ファンレターも書く事もせず、観劇のみのファンでした。

トップお披露目の時など節目の公演は、初舞台の時に泊まった旅館をその時の友人と予約し、ささやかなお祝いをしていました。


彼女が初舞台の時、1才4か月でまだオムツをしていた息子がもう大学生です。 私も当時は「へぇ~。既婚の子持ちには見えな~い」って言われていたけど、今はどう見ても独身者には見えません。(当たり前か汗

車も、今乗っているので三台目です。

それに私の両親、夫の祖父母、義父と、16年の間にみんな亡くなってしまいましたしょぼん 


寝たきりになった祖母を自宅で義母と看ていた時も日帰りで観に行き、ずい分元気をもらい明日の活力になりました。母のパーキンソン病が悪くなった時も、いつも前向きでいられたのは彼女の頑張る姿に勇気づけられていたからだと思います。


でも16年の間の中で一年間だけ、ゴッソリ彼女の記憶が私の中にはない時期があります。 それは、母が亡くなって一週間後に義父が急性リンパ性白血病で緊急入院した時に、夫は願掛けで煙草を断ったので、そんな夫を見て、私は元気の素である宝塚を観るのを断ちました。この日はちょうど、歌手の(故)本田美奈子さんが義父と同じ病名で同じ日に入院した日でした。


願掛けの願いも神様に届く事なく義父はその年の12月に亡くなりました。

夫は煙草は未だ吸いませんが、私は去年義父の四十九日法要を終えてから観劇し始めました。


こうやって振り返ってみれば凡人の私でさえ山あり谷ありの人生なのに、彼女の宝塚での16年間の人生もまた山あり谷ありの人生だったと思います。眩いスポットライトの光を浴びれば浴びるほど、その後ろにできる影は黒く長くなります。高い山と深い谷の連続だったかもしれません・・・。


長い間、本当にお疲れさまでした。そしてありがとうございました。



全く宝塚に興味のない人には、本当に申し訳ありませんでした。

つい熱く語ってしまい、痛~い日記になってしまいましたショック!あせる


節目の退団公演…、今回は私の人生の中での一つの節目にもなるので、いつもの旅館に早くも予約を入れました。