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AccessConsciousness

…あなたに機能しない思考・感情をポイ♪

 

面白いものの見方を綴る

プロジェクターの青い鳥ですセキセイインコ青

 

 

 

 

 

 

 

恨みつらみ、哀しみを

ぶつけたいわけでも

 

同意や共感を

求めているわけでもなく

 

 

私が創造してきた現実から目を背けず

それらを含み容れて私で在る

 

という用意ができてきたので

 

 

インナーチャイルドの癒しと浄化

そして健忘録、回顧録として…

 

 

 

 

 

 

 

誰もが

生まれる前に決めてきたこと

 

 

それは

どの両親、特に

 

どの母親から生まれてくるか

 

ということだと思う

 

 

 

最も身近である家族

 

その関わりを通して

 

家族から

何を学び、気づきたいのか

 

家族に

何を気づかせたいのか

 

 

 

そのテーマに沿って選んだと思われる

母との関わりについて

覚えている分だけ並べてみる

 

 

 

「母に○○された」

 

という表現が多くなるかもしれないけれど

被害者意識で書くつもりはなくて

 

 

紛れもなく

それらを承知で

 

私自身が選んだ母だから笑

 

 


 

 

 

 

 

幼稚園の頃の検便

朝、💩が出ないことを理由に引っ叩かれて

鼻血を出しながら登園

 

 

 

朝ご飯を食べるのが遅い

と、湯呑の緑茶を頭からぶっ掛けられる

 

 

 

玄関で長時間立たされ

トイレに行けない

 

 

 

突き飛ばされて

ダイニングテーブルの角で胸を強打

 

 

 

2階の窓から「落としてやる」

とばかりに

両手で抱えられ窓の外に突き出される

 

 

 

「こんな問題が分からないのか」

と、髪の毛を引っ張られて

椅子から引きずり降ろされ

馬乗りになって叩かれる

 

 

 

ピアノの練習中

「へたくそ」と

掃除機のヘッドで小突かれ

髪の毛を吸われる

 

 

 

視力が悪かったため

視力矯正の器具?で毎日訓練

「なんでこんなものが見えんのだ」

と引っ叩かれる

 

 

 

…💩にしても視力にしても

生理現象、肉体的なものは

しょうがないのにね笑

 

のちに、

視力が悪いのは遺伝性と判明する

 

 

 

台所のタッパーをあるだけ持ち出し

次から次へと投げつけられる

 

…タッパーってところが、

まだかわいいかな笑

 

でも、それを弟に拾わせては投げつける

というのが悲しかった

ますます私だけが孤立した気持ちになって…

 

 

 

「死んじまえ」

「あんたなんかいない方が、この家は平和」

 

 

 

木ゴマ

…コマ回し用のおもちゃではなく

直径10cmほどのずっしりと重い置物

 

それを投げつけられて、おでこを強打

 

目に当らなくてホントによかったけど

真っ青の大きなたんこぶができて

「お岩さん」みたいになる

 

前髪で隠して登校

…当時の小学校の先生は、

そういうことに気付かなかったよね

今なら、児童相談所に通報する

 

 

 

「昨日も怒られてたね」

と、近所のお母さんに声を掛けられる

 

三軒向こうまで

母の怒鳴り声が聞こえていたようで

今なら、同じく通報する人がいるかもね

 

 

 

お風呂で一人

シャワーの音でかき消しながらわんわん泣く

 

夢の中でも泣いて目が覚め、枕はびしょびしょ

なんてことはしばしば

 

 

 

小学校生活では

集団無視など

(わずか一カ月程度だけれども

クラスの女子全員が口を利いてくれなかった)

もろもろのいじめを受けることもあった

 

 

 

家庭での扱いによって

自己肯定感がダダ下がりだった私は

当然その対象になりやすかったでしょうね

(いじめを肯定しているわけではありませんよ)

 

 

 

学校で居心地が悪く

寂しい思いをしても

 

誰に打ち明けるでもなく

学校に行きたくないとも思わなかった

 

 

 

なぜって

家にいる方がよっぽど辛かったから…

 

 

 

学校では

私は存在しないもののように無視され

口を利いてもらえないことで

傷付きはしたけれど

 

体まで傷付けられた訳でもない

 

 

 

未だに

大きい声や音は苦手

 

そして

体に何かがぶつかると

必要以上に痛がる

 

 

 

 

 

 

 

道端で

手をつないで歩く親子とか

まるで宇宙人でも見るかのように

不思議な思いで見ていました

 

 

どうしたらあんな風になれるのだろう…って

 

 

 

だから

いつも母の5メートルほど後ろをついて歩く私が

いなくなったところで

 

きっと母は気付かないだろう

振り返りもしないのだから…

 

 

と、小学2年生にして

プチ失踪したこともあった

 

でも、警察に通報された直後に帰宅

お腹すいてきちゃったからね笑

 

 

 

 

大人になってからも

一人で公園で遊んでいる子どもを見るだけで

泣けてきたり

 

何度となく

早くあの世に帰りたい

と思ってた

 

それは私が

スターシードだから

というのもあるかもしれないけれど笑

 

 

 

 

 

だから、

親から愛されて大事にされて

育ってきたような(育ってきたように見える)

同世代の人たちを見ると

とても嫌な気持ちになった

 

 

私はこんなに

しんどかったのに我慢してきたのに

…ってね

 

 

 

今思えば

それぞれに

人生の課題やテーマが違うだけなんだけどね

 

 

 

 

 

 

 

大人でも

子どもでも

 

傷を負っても

後悔するようなことがあっても

 

次に進もうとする人たちの後押しを

微力ながらできたら

 

って

学生時代はボランティアもしてた

 

 

 

少年院から出た

保護観察下の少年たちと一緒に

バーベキューをしながら

話し相手になったり

 

私、

全然アウトドア派じゃないんだけど笑

 

 

 

薬物で医療刑務所に服役中の人たちと

刑務所内の広場でハンドベースをやったり

 

私、

球技は大の苦手なんだけど笑

ボールが飛んできて体に当たるなんて

恐怖でしかないし…

 

 

 

 

 

 

 

そして、

 

どんな子も大切に扱われたなら…

って、

小学校の先生になりたかった

 

 

 

でも、これは

私にとってはかなりの挑戦

 

 

 

なぜなら

保護者…主に母親との関係性を

築いていかなくてはいけないから

 

 

そして

私の母同様、子どもたちに厳しくし過ぎて

酷い扱いをしたりしないだろうか

っていう、恐れを抱いていたから

 

 

 

 

でも、そこに向き合ったなら

母とは違う選択をできるだろうか

 

 

私の中にも

愛はあるのだろうか

 

 

自身は愛に餓えていても

子どもたちに愛を与えられたなら

 

自分は大丈夫だって

思えるんじゃないだろうか

 

 

何かが変わるんじゃないだろうか

 

 

もしかしたら

私だからこそ

できることがあるんじゃないか

って…

 

 

 

ほんとに私…

どこまでも自分を追い込むよね笑

 

 

 

母には与えられていないから

「自分の中には愛がない」

…と思っていた分

 

 

学級経営や授業技術でなんとかするしかない

と思って

休日も研鑽にかなりの時間とお金を費やした

 

 

 

 

 

実際、

担任した子どもたちに

暴力を振るうなんてことはしないまでも

 

 

案の定

保護者との間にはトラブルが起き

 

 

まるで

自身の母親と向き合わされるかのような

問題が度々起きました

 

 

 

 

 

人は、

育てられたようにしか

人を育てられない

 

…つまり虐待の連鎖

 

 

 

だから

自分の子どもを欲しいと思ったことがない

 

 

というか、

子どもを持つことを

とても恐れていました

 

 

 

負の連鎖を断ち切るには

子どもを持たないのが

最善策だと思い込んでいたから

 

 

 

 

 

 

 

教員として奮闘して7年ほど経った頃

 

弟が、プチ…どころか

本当に失踪した

 

 

トヨタの大手関連会社に勤めたのも束の間

欠勤が度重なり

 

 

子どもの頃から抱えていた思いを

兄弟である私には打ち明けてくれたものの

 

結局、何の力にもなれず…

 

 

 

私にだけ

携帯に一言メッセージを残して

居なくなった

 

 

 

 

 

失踪から7年以上たつと

死亡宣告ができるんです

 

 

12年ほど経ったところで

重い腰を上げ

 

両親と私の3人で

家庭裁判所に申告

 

 

 

警察に届けても

探偵に頼んでも

見つけることができなかった弟に関する書類を提出し

涙ながらに事情聴取を受けた後

 

半年ほど掛かって認可

 

 

 

 

 

2020年

弟は、戸籍上死亡

 

 

 

時を同じくして

私は教員を退職

 

 

 

弟が帰ってくるまでは頑張る

と言っていた両親でしたが

 

 

 

その1年後、父が突然亡くなり

 

 

 

さらにその1年後、

24年間の闘病生活の末、母が亡くなった

 

 

 

思えば3年の間に

家族3人とも亡くしたんだね

 

 

 

そして、昨年の2023年

実家を手放した

 

 

image

 

 

 

 

 

父が倒れたと思われる日

本当は、おかずを作って

実家を訪ねようと思っていました

 

 

でも私が、

ほかの方の都合を優先したために

発見が遅れることになってしまった

 

 

 

その後

母が利用していたデイサービスの方が

迎えに来たものの

 

インターホンを鳴らしても

出てこないことを不審に思い

救急と警察に通報

 

 

ガラスを割って中に入ってもらったことで

発覚するという事態に…

 

 

介護が必要だった母も

同時入院

 

 

 

何の因果か

発見された日は

居なくなった弟の誕生日だった

 

 

 

その3日後

意識不明のまま

父は息を引き取りました

 

 

実家の畳の部屋には

今週も娘が訪ねてくるだろうと

父が用意してくれていた果物が

そこにありました

 

 

 

 

 

その後

老人ホームに入居した母は

みるみる弱り

1年も経たないうちに亡くなった

 

 

 

「お疲れ様」

と、

亡骸をそっと抱きしめながら

 

 

生きているうちに

それができたなら…

 

 

そして何より

ただそうやって抱きしめてほしかった…

 

 

 

 

 

 

 

独りぼっちで実家を片づけるのは

まあまあ、しんどかった

 

 

 

きっと戻って来ることはないだろう

とは思うものの

 

生きているか死んでいるかも分からない

弟の荷物を勝手に片付ること

 

 

そして

母の弟への思いを綴った手記を

発見したりしながらの作業は

とても辛いものがありました

 

 

一文読んだだけで目を背けたくなり

 

自宅に持ち帰ったものの

あれから一切目を通していないし

このまま一生読むことはないかもしれません

 

 

 

 

 

 

私が母に気づいてほしかったことは

 

 

どうして

そのままの私を愛してくれないの

 

ということ

 

 

 

いい年して、いつまで

子どもの頃のことを引きずっているんだ

と笑う人がいるかもしれませんね…

 

 

 

確かに昔は引きずってた

 

そして満たされない思いに

生きづらさに

足を引っ張られ続けてた

 

 

でも

未だに癒えてはいなくても

引きずっているのとは違う

(完全に癒えて「無」になっている人がいるなら知りたい笑

 

 

 

玉ねぎの皮を剝き続けるように

剝いてはまた出てきたりするけれど

 

向き合えば向き合っただけ

受け止めたら受け止めただけ

小さくなってゆくものだと思ってる

 

 

 

 

これまで、

つぶれてしまうこともなく

(引きこもり気味になったことはあったけど)

へそを曲げてグレたりすることもなく泣き笑い

 

 

耐えながら堪えながら

真っすぐに自分の求めるもの、

確かめたいものと向き合い

 

 

自分の内にある愛への挑戦をしながら

純粋さ?笑を保ってきた私ったら

まあまあ頑張ってきたのかも

 

 

 

 

 

 

 

自分が求めていたものが

与えられなかっただけなんだよね

 

 

 

そこに

良し悪しがあるわけではなく

 

 

悲劇の結末を迎えた

新美南吉の「ごんぎつね」のごとく、

 

 

両者の認識、

ものの見方の不一致が

ただそこに存在しているだけ…
 

 

 

 

 

そもそも、母から

愛が与えられなかったわけではない

 

 

 

愛の反対は

憎しみではなく、無関心

 

 

決して母は、私に対して

無関心であったわけではない

 

 

 

私が望んだ形で

愛が与えられなかっただけ

 

 

一枚のコインを

表と裏、どちらから見ているのか

という違いがあるだけ…

 

 

 

 

 

 

 

陰陽…


闇が大きいなら

光もまた大きい

 

 

自分が選んだ闇が深いのなら

それを超えられるだけの

強い光も併せ持っているハズ

 

 

 

 

光も闇も併せ持った

 

あるがままの私を表現すること

「わが・まま」に生きること

 

 

 

母が生きている間に

叶えることはできなかったけれど

 

 

魂本来の在りようのまま

 

その輝きを放つために

私がわたしであるために…

 

 

 

 

もはや、母に対してどうこう

というのではなく

 

 

私の血肉に刷り込まれた

私へのジャッジメントを

 

 

何かをきっかけにして

湧き上がってくるたびに

 

ただただ浄化して手放していくだけ

 

 

 

自ら創造してきた闇に光を当てて

昇華させてゆくだけ

 

 

 

自分のそれに

光を当てられないなら

 

人のそれにも

光を当てることはできないもんね

 

 

 

 

光を当てる、

って

 

別にプライベートを

白日の下にさらす

ということではないけど笑

 

 

 

 

 

夏至という

太陽の…「光」のエネルギーが

一番強い日の力を借りて

 

一つの区切りとして

ここに記しておきたいと思います

 

 

 

 

 

 

 

 

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