そもそも仏教の教えに「位牌は必要だ」とあるのか | 仏教講師の菊谷隆太が『人生の目的』を親鸞とブッダの言葉で示すブログ

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お盆に里帰りして墓参りをするある家族。
親は子供に「おじいちゃんに会いに行くよ」と説明します。
子供は、亡くなったおじいちゃんは墓にいるのか、と思います。
ところが家の仏壇には位牌があり、「おじいちゃんはここで見守ってくれているのよ」とも親が言うので、子供は「あれ?こないだ、お墓におじいちゃんがいるって言ってたのに、うちの仏壇にもいるの?」と尋ねます。
「お墓は本社で、位牌は支店みたいなものかな」と親がテキトーなことを言って受け流そうとするが、子供は釈然としない顔をしている。



その一方でテレビを見ている親が「私は墓にいません。風になってます」という歌謡曲に、いい歌だわ、と言っているので、「あれ?風になってるんだったら、あの墓参りは何だったの?」と子供が尋ねる。
親は「歌だから自由に想像していいのよ」と返す。



やはり釈然としない子供が「ねえ、おじいちゃんがいるのは墓なの?位牌なの?風なの?」と尋ねると、だんだんうるさく感じてきた親は「大人になったら自然に分かるよ」とかわそうとする。
「じゃあ大人のお母さんは分かったの?」と尋ねてくるので、切れ気味になった親が「分かったわよ、死んだらおしまい!灰になるの!」と突き放す。
「えっ!じゃあいつも見守ってくれてる、って言ってたのは?」と子供が驚くので、これはフォローしなきゃと、今度はお父さんが「亡くなった人はね、私たちの心の中に生き続けているんだよ」と静かに諭す。
ところが子供は「あれ?じゃ何でお墓まで行くのさ」と聞くので、お父さんもお母さんも顔を見合わせて苦笑する。
そんな親の様子を見て子供も何か感づくのか、こういう質問はしないようになり、やがては皆が言うようなことを上手に口にするようになっていきます。



本当は、死んだらどうなる のでしょう。
その真実の答えは何でしょうか。
「必ず行かねばならぬ、間違いない自分の将来なのに、誰も真面目に考えようとはしないのはおかしいではないか。この大問題をはっきりさせたい、知らなくて済む問題ではない」と9歳の時、親鸞聖人は出家されたのでした。
「死んだらどうなるか」
これが親鸞聖人の求道の原点でした。