「法然上人にだまされても後悔しない」親鸞聖人の常識破りの法然上人への敬慕の念 | 仏教講師の菊谷隆太が『人生の目的』を親鸞とブッダの言葉で示すブログ

仏教講師の菊谷隆太が『人生の目的』を親鸞とブッダの言葉で示すブログ

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読者の方より、こんなメールをいただきました。
一部抜粋します。
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真の仏教に出会うというのは非常に難しいとのことですが、確かにそうだと思いました。
(中略)
仏教の総本山の僧侶達でさえも知らないと言うのは真髄を理解出来なかったと言う事で、ある程度都合の良い解釈に纏めてしまったということでしょうか。
もしもそうだとすれば私の様な仏教の教えも良く分かっていない素人に無明の闇など消す事など到底生きている間に辿り着けないのではないのかと非常に気を落としてしまいました。
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仏教を聞く目的は、誰もが心の奥底に抱えている暗い心(無明の闇)を無くして絶対の幸福になることであり、それは生きているときに果たすことができますよ、と親鸞聖人は教えられています。
この方もそんな幸福があるなら知ってみたいと聞き始められたのでしょうが、仏教の総本山の僧侶達でさえ真髄を理解できなかったということを知られ、そんなにまで仏教にかけた人でもだめだったのに、素人の自分なんかはとても無理なのではないか、と気を落とされたようです。



ここで間違えて欲しくないのは、修行に身を投じた僧侶が絶対の幸福になれなかったのは、才能や根性が足りなかったのではなく、真の仏教の師に遇えなかったからです。
逆に真の仏教の師から聞かせていただくご縁に恵まれれば、サラリーマンでも主婦でも高齢者でも、必ず真の幸福になれます。



真の仏教を理解するのは、仏教に身を置く僧侶でもむずかしいことです。
それだけ仏教の教えは誤解しやすいのです。
日本に入った時点ですでにいろいろな宗派があり、日本で枝分かれしていったものもあります。
さらに言えばインドの時代から分かれているので、仏教の教えを正確に受け止めることは難しいことがわかります。
だからこそ善知識にあうことが極めて大事なのです。



親鸞聖人も自分が懸命に学んだからとか自分に才覚があったからと誇る気持ちはさらさらなく、ひとえに法然上人から真実の仏教を聞かせていただいたなればこ そ、と感謝されています。
正しい仏教の師から聞かせていただいたからこそ、救われるのです。