大乗経典はブッダの説ではないという上座部仏教の主張【大乗非仏説】 | 仏教講師の菊谷隆太が『人生の目的』を親鸞とブッダの言葉で示すブログ

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「テーラワーダ仏教」なる宗教団体は、スマナサーラという僧侶を長老と仰ぐ、スリランカの上座部仏教宗派のある一派です。
日本を布教の拠点とし、パーリ語で上座部仏教という意味の「テーラワーダ」を名乗っています。
そのテーラワーダ仏教、スマナサーラのアピールポイントが「原始仏教」「初期仏教」というフレーズです。
彼らは漢訳の大乗経典は釈迦の説かれたものではなく、偽経である、と喧伝しています。
また日本で布教しようとした目的は「日本の人が本当の仏教を全然知らないから」と言い、「日本人はスリランカから本場の仏教を聞かねばならない」と主張しています。
言ってみれば、日本の仏教界は挑戦状をたたきつけられた形ですね。



さあ、これら外来からの批判に、日本の仏教界はどう答えるのでしょうか。
この動画を視聴されている方で僧職の方もあると思うのですが、スマナサーラらに「本当の仏教を全然知らない」と名指しされていますが、どう応じられますか。



最近、私にも「親鸞が根拠として挙げている大乗経典は、釈迦死後何千年も後に中国で作成された偽経ですよ。これは学問的事実です」と言ってこられる方がありましたので、ちょっとこの件について、今日は触れておきます。
まずこの方は大乗経典が仏説でないことを学問的事実と言われていますが、事実ではなく、一つの説に過ぎません。
最近の説では漢訳の大乗経典のほうが、パーリ仏典よりも成立が古いと言う人もあり、同時説も有力です。
成立は、最も新しいのがチベット経典、次がパーリ仏典やサンスクリット仏典、最も古いのが、漢訳経典だといわれます。



ではなぜこのパーリ仏典を「原始仏教」と呼ぶようになったのでしょうか。
それは19世紀ヨーロッパで盛んになされた仏典研究が、漢訳仏典ではなく、パーリ仏典だったことに端を発します。
当時彼らが植民地としていたスリランカや東南アジアで流布していたのがパーリ仏典であり、漢訳の大乗経典より彼らの言語ルーツにおいてもなじみやすかったこともあり、それがお釈迦さま当時の原始仏教だと信じられるようになったのです。



だいたい常識的に考えても、もし、大乗経典が釈迦の説かれたものでないとするならば、古今東西の人類に多大な影響を与え、魅了し続けるあの大乗経典は誰が創作したものだというのでしょう。
大乗経典は、龍樹、天親、無著などの高僧方がともに釈迦の説法として拝誦された経典ですから、もし大乗経典を創作した人がいるならば、龍樹、天親以上の方でなければなりません。
しかし龍樹菩薩や天親菩薩以上の偉人は、お釈迦様のほかにインドの歴史上見あたりません。
もし実在したとすれば、そんな大偉人の名前が歴史に残らないということは、考えられないことです。
 


大乗経典が仏説であることを、歴史的に証明しようとしている学者もあり、大乗経典は仏説でない根拠を探すことに躍起になる学者もあります。
しかしいずれにしても学者の論議は果てしなく、両派が自分の正当性を証明しようと、いろいろな根拠を引っ張り出して解釈しようとしてますから、これからも甲論乙駁、いつまでも結論は出ません。
たとえ漢訳経典が最も古いことが学問上証明されたとしても、そこに説かれた釈迦の真意を読み間違えれば、私たちの救いにつながりません。
大乗経典は不可称不可説不可思議の仏智の世界を示したものです。
それが真実かどうかは、はっきりと弥陀の救いに遇わなければ、わかるものではありません。
どんな人も救い摂る大乗無上の法の大船に乗せられ、本当の幸福を体得すれば、大乗経典がまことであることは、何人もはっきりします。