不幸の連鎖で苦しんでいる人に共通する思考癖【仏教の教え】 | 仏教講師の菊谷隆太が『人生の目的』を親鸞とブッダの言葉で示すブログ

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仏教に『惑業苦(わくごっく)』という言葉があります。
「惑」とは、迷い・惑い・煩悩のこと。
「業」は悪い行い。
「苦」は苦しみのことです。
「惑」が「業」を生み、「業」が「苦」を生む、そして「苦」が「惑」を生む。
「惑」⇒「業」⇒「苦」⇒「惑」⇒「業」⇒「苦」⇒・・
延々と続いていくと説かれています。



カードローンで多重債務に陥り、苦しむ人は跡を絶ちませんが、惑業苦の輪が、かなりの回転数で回ってしまっている状態です。
お金が欲しい、困った、どうしようと「惑」の心が起きます。
つい借りてしまう、これが「業」です。
返済が迫られる、これが「苦」です。
その苦しみからまたどうしようかと迷い「惑」。
また借りる「業」。
借金がかさむ「苦」。
借金の額が増え、カードも幾つも作り、よからぬ金策に走ったりして、そのことで頭を悩ませ、仕事も手につかず、人にも優しくできなくなり、となっていくのが、惑業苦の輪が回っている姿です。



一昔前は借金といえば、親族や友人に頭を下げるなどしなければならなかったり、あるいは周りの目をはばかりながら、急ぎ足で質屋の暖簾をくぐらねばならなかったので、借金自体ハードルが高かったのですが、今日のご時世、ATMからお金を下ろしているのと同じ感覚で、キャッシング=借金という認識さえ麻痺して、しかもリポ払いでいくら買っても払う額が一定と、多額の借金も軽い気持ちになっていってます。
カード会社も、借金を怖ろしくないものといかに思わせるか、の方策を次々と打ち出しますから、うっかりしているとだまされて借金している、という状態です。



人気作家、宮部みゆきの代表作「火車」には、カードローンで身を持ち崩す人間の実態が描写されていますが、繰り返し語られているのは、出会い頭の交通事故のように、普通の人、一般の常識人も、いつカードローンの犠牲者になるかもしれないという実態でした。
「あたし、どうしてこんな借金をつくることになっちゃったのか、自分でもわからない」
「あたし、ただ幸せになりたかっただけなのに」
「夢はかなえることができない。さりとて諦めるのは悔しい。(中略)
そこへ、見境なく貸してくれるクレジットやサラ金があっただけって話」



昔より自制心が試されている時代ともいえましょう。
野菜の無人販売のように、お金が店頭に並べられていて、自由に持っていけるような感覚の時代です。
ただしどれだけ持っていったか、こっそり厳しく管理されているので、どれだけ欲しくても、我慢しなければなりません。
昔は返済が滞っても、親族だからいつの間にか利子が増えるということもなく、質屋の場合、入れた質草が返ってこないだけで、厳しい取り立てが始まるということはありませんでしたが、今は深刻です。



苦しい時に、やってはいけないことをして、余計苦しみを深めるのが人間ですから、苦しい時こそ「ここだなあ」と忍耐が大事です。