集中力の高い人はここが違う【仏教の教え】 | 仏教講師の菊谷隆太が『人生の目的』を親鸞とブッダの言葉で示すブログ

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お釈迦さまの説かれたことがお弟子の手によって書き残されたのがお経です。
その一切を「一切経」といい、その数は七千余巻に上る膨大なものです。
その七千巻の中でも、親鸞聖人が特に重視されたお経が「大無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の三つであり、これを「浄土三部経」といいます。



親鸞聖人は浄土三部経を何度も読み込まれ、そこで説かれているお釈迦様の真意を私たちでも受け取れるよう、わかりやすく書き著わされました。
それが聖人の主著『教行信証』全六巻です。



『教行信証』をどのページでもいいですが、開いてまず目に引くのは、膨大な経典や注釈書からの引用です。  
親鸞聖人はご自身のなされた解釈の後に、それを裏づける経典、またインド・中国・日本の高僧方の著作を縦横無尽に引用され、根拠として示しておられます。
親鸞聖人が教行信証を著されるに当たって、どれだけ膨大な経典や注釈書を読まれたか、中でも浄土三部経は何度読み返されたかわかりません。



それは作家の井上靖の以下の言葉からも知られます。
「親鸞について、最初に感動したのは、彼が書写した自筆本『観無量寿経註』なるものを見た時である。
これは国宝に指定されていて、数年前の親鸞聖人誕生800年の記念展観でお目にかかったのであるが、有体に言って、世の中には怖いものがあるものだと思った。
観無量寿経を書き写し、その行間、余白、欄外ははもちろんのこと、紙背全面にわたって、ぎっしりと細字で唐代高僧の経註の書き込みがある。
謂ってみれば、これは親鸞の観無量寿経の勉学ノートである。
書き入れてある経註から見て、この書写は、親鸞の流罪になる前の、つまり35歳以前のものとみるのが妥当だとされているそうであるが、親鸞は青年期から壮年期にかけて、このような勉学の時代を持っていたのである。
私は4、5年前に『観無量寿経註』の覆刻版を手に入れ、時に巻ものを繙くことがあるが、いつもその度に襟をたださざるを得ない思いにさせられる。
1つのことを理解するということは、これだけの手順と、これだけの精神集中度の持続を要する作業なのだ、そんな思いに打たれる」



このように井上靖が感嘆した親鸞聖人の勉学の跡が今に遺るのは『観無量寿経註』だけではありません。
同じく国宝に指定されている『阿弥陀経註』1巻も、同様に親鸞聖人の学究の筆の跡がびっしりと書き込まれています。
『観無量寿経』『阿弥陀経』もかくの如し。
ましてや親鸞聖人が「真実の教」と明言された『大無量寿経』にいたってはどれほど読み返され、学ばれたことでしょう。
『教行信証』は親鸞聖人が亡くなるまで幾たびも加筆修正を繰り返され、推敲を重ねられていますが、その筆の跡には、「浄土三部経で釈迦が示された真意をなんとかすべての人に徹底したい」という聖人の熱い信念があふれています。