運がいい人に共通する言動(よく見ないとわからない)【仏教の教え】 | 仏教講師の菊谷隆太が『人生の目的』を親鸞とブッダの言葉で示すブログ

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とある日本の衣料メーカーは、中国に進出したものの、数年間赤字続きで苦戦を強いられていました。
それがあるワンピースの襟のデザインをちょっと変えたところ、そのワンピースが爆発的な売り上げを記録し、中国の若者によく知られるメーカーになりました。



こう聞くと「ちょっと襟のデザインを変えたくらいでこんなに儲かるなんて運がよかったね」と思いがちですが、現地の若者の意見を積極的に取り入れ、デザイン制作の方針を切り替えた、大胆な会社の方針が功を奏したものでした。
その大ヒット商品の背景を探れば、長年に渡ってその会社に培われてきた様々な蓄積が見えてきます。



芸人ならば年末の深夜番組で披露した一発芸のネタが、年明けからSNSやユーチューブで拡散し、その年、分刻みのスケジュールでテレビ局を移動する売れっ子芸人になることがあります。
こんなのも「あいつ、うまく時代の波に乗りやがって、運がいいな」と周りはぼやくものですが、これとて、人知れぬ研鑚の賜物に違いありません。



故スティーブジョブスは「よく見ると、一夜にして起こった成功の多くには、長い時間が費やされているものだ」と言いました。
ジョブスの言う「よく見ると」ができる人は、そんなに多くないようです。



仏教では、なぜその人が成功したのか、その原因を明らかに見ることを「諦観」といいます。
その人に表れた結果だけを見て「いいなあ、あの人ばかり」「ラッキーだったよな、何であいつばかりが」とねたむ人は、その人の成功の原因を究明することなく、目先のことしか見えていない人であり、「諦観」のできていない人、といえます。



これは「運の悪い人」にも同じことがいえます。
その運の悪さは「たまたま」でも「偶然」でもなく、もちろん「たたり」でも「霊障」でもない、その人の日常の習慣、言動、さらに言えば、いつもの思考のクセなど、よく見るとその人自身に、長い時間が費やされている原因があるのです。