かの笠置シヅ子さんは、娘に自分のことをマミーと呼ばせていたらしい。


韓流ドラマなら、オンマ。


私は学校に上がるまでママと呼んでいたが、4歳下の弟がお母さんと呼ぶので、私もお母さんに直した。


長男は私をお母さん、次男は母ちゃんまたは母(かあ)と呼ぶ。



今日の話題は私の母についてニコニコ




実は、松山千春さんの鎌倉芸術館でのコンサートの直後の6日から入院していました。



全身触れるだけで痛がり、浮腫もひどく、全く動けなくなり全介護になりましたあせる


ヘルパーさんの時間も私呼ばれたり電話来たり、痛みと絶叫で1人じゃオムツ替えられないから後よろしくとか、


私はその中でも1人で替えるんですけど滝汗


大変でヘルパーさんの1人が辞めたり。



そんな状態で、入院したのです。


面会は、学校の用事で2日間行けませんでしたが、それ以外は毎日行きました。



そして今日、状態が落ち着き退院になります。


朝早く迎えに行かなければならないので、早く寝なきゃいけませんが、眠れませんあせる


痛みと浮腫は良くなりましたが、全介護です。


ヘルパーさん達と力を合わせてやっていきたいと思います。



母の本格介護が始まって7年、その2年前からプチ介護状態で、今は介護をする側面でしか母を見られなくなったので、


昔、育ててもらった頃を思い出すようにしていますニコニコ


毎日当たり前のように世話してもらったことはもちろん、一番ありがたいのですが、



特に思い出すのは5歳の春、麻疹で熱が40℃あった晩。


私に何が飲みたいかと聞くので、


カルピスとスープと答えたんです。


母は枕元にそれらを用意し、私が夜中カルピスが欲しいと言うと起きて与えてくれました。


でも私はカルピスしか飲みませんでした。


スープが想像と違ったからですキョロキョロ


私は醤油ラーメンのスープをイメージしていたのですが笑


母はいわゆるコンソメスープのようなものを作ってくれていたのでした。


当時スープはラーメンのスープしか知らなかったので、飲まなかったのです汗


せっかく作ってくれたのにごめんね滝汗



あとは、昔就学前まで品川区の社宅の9階に住んでいたのですが…


私は窓によじ登るのが大好きで、また窓には転落防止の柵がありました。


その柵でどうしても鉄棒の前回りをしたかったんですねあせる


でも母は私が窓に近づくだけで、危ないと注意し止めさせますポーン


私もめげずに何度も前回りをしたくて近づき、母の目を盗みもうすぐ前回りが出来そうビックリマーク


の所まで来たのに母に見つかり止めさせられ、がっかりした覚えがあります滝汗


今思うと、目を離さないでくれてありがとうビックリマーク


お陰様で私は生きていますビックリマーク


と思いますね。



母はこれらのことを完璧に忘れているでしょうが笑

その感謝を胸に明日から頑張りたいと思います。



最後までお読みいただきありがとうございましたニコニコ



以下、4/8の近場の桜の名所より