こんばんは
先月は疲労困憊月間でした。
理由は 母の介護です。
母の歳は86。来月に87になります。
私が子供の頃は働き者の母でした。
たぶん、私の何倍も働き者でした。
専業主婦で、お姑勤めに人生を捧げているような人で、余暇を楽しむようなこともほとんどありませんでした。
母は今でもお姑勤めをしたことに誇りを持っていて、
私はおばあちゃんに尽くしたんだよ
と度々口にし、生きる支えにしている感じです。
母が52歳の時に腰の手術で半年間ベッド上の生活を送ってから、
歩行が大変になりました。
だから、今の私くらいの歳の頃にはあまり歩けなかったです。
母が64の時にお姑勤めは終わりました。
以後、今思えばフレイル状態だったと思います。
フレイルとは、健康な状態と介護が必要な状態との中間地点にある状態のこと。←文献より引用
父亡き後、10年前くらいより徐々に介護が必要になり、
2017年3月から本格的に介護が必要になり、ヘルパーさんやデイサービスを利用するようになりました。
その後も徐々に介護度がアップしていったのですが…
先月急激に動けなくなり、完全寝たきりになりました。
しかも身体を痛がり、触れるだけで絶叫。
往診の先生からも、絶叫する中私一人車椅子に乗せて病院受診しても、異常ないと痛み止めを処方され、
疲労困憊で帰って来たものです。
1日のほとんどを介護に費やし、ヘルパーさんが来ても手に負えなくて呼ばれたり、
やっと帰宅しても携帯からナースコールのように頻回に呼ばれたりしていました。
また耳が遠くてこちらの声が聞こえず、母が一方的に喋り会話が成立せず。
もちろん食事も排泄も更衣も全介助。
あと、認知機能にだいぶ問題があり、同じことを何十回話しても忘れてしまい、いちいち初めから話さなければなりません。
話のプロセスを踏めず、毎日同じことを何十回話しても初めて聞くような反応されるので、
地味に痛手です。
とてもブログを書く心境になれませんでした。
お医者さんには、さりげなく施設を勧められました。
もう何年も前から、お医者さんや看護師さんに勧められています。
でも母は自宅が大好き。
私はおばあちゃんを96まで生かしたのよ。
私は後10年ある。
100まで生きたいよ。
と言うので、
どうぞ、120まで生きてちょうだい。
長生きしたいなら自分のことは自分でしないとね。
と返事すると、
キク、ずっと面倒みてくれる
と言うので、
うん、でもその頃は私も年取っているから、施設にお願いするけど、いいよね
と返事したら頷いていました
もう私に頼りきって、少しでも姿が見えなくなると、
キク〜キク〜
と念仏のように唱えています
もう結構限界に近付いていましたが、
今月に入ってだいぶ持ち直してきたのです。
起き上がれるようになり、自分で食べられるようになりました。
これならライブに行けるかも。←あくまで行く気
まだまだ私の介護は続きます。