天保3年から続くうなぎの名店

 

川越は、小江戸とも言われるほど古い街並みがまだ残っている首都圏の有名な街です。

 

公共交通機関で行く場合は、東武東上線の川越市駅やJRの本川越駅がおすすめです。

 

そこから、歩いてもいいですし、本川越の駅からは主要な観光スポットに行くバスも出ています。

 

なお、川越祭りなどもあるので、10月中旬はかなり賑わいます。

 

その頃にはコロナもかなり収まっているのではないかと思います。

 

今回久しぶりに行ったいちのやも、そういう古い蔵がちらほらと点在する街並みの一角にあります。

 

味は変わらず、値段は30%ほどアップ?

 

私が以前通っていた頃は、確か三千円以下で鰻重が食べられたお店ですが、まず、同じメニューのお値段が四千円ほどにアップしていたのに驚きました。

 

諸々の物価が高騰していて経済的にかなり庶民の生活が困窮している今、うなぎは確実に金持ちの食事と成り果てています。

 

そして、今回は、20年ほど前からお世話になっている方に、八千円の鰻重コースをご馳走になりました。

 

自腹なら、多分ネットでメニューのお値段チェックをした段階で、川越に行くことすらしなかったと思います。

 

気のせいか、以前のうなぎよりも薄くなっているような気もしますが、うなぎって、やはり冬の方が脂が乗ると聞いたことがあります。

 

うなぎの旬はもしかしたら、夏じゃないのかもしれません。

 

ただ、味自体は昔と変わらず臭みもなく美味しくいただきました。

 

土用のうなぎは企業CMのコマーシャルに過ぎなかった?

 

平賀源内というとエレキテルですが、現在日本にも大きな影響を与えているといえば「土用の丑の日」にうなぎを食べるという風習を始めたキャッチフレーズを考案した人でしょう。

 

ある意味、日本で最初のコピーライターですね。

 

でも、この話は「説」という領域をでない、証拠物件のない逸話という程度のようです。

 

ただ、平賀源内が作詞作曲をおこなったり、キャッチコピーを考えて報酬を受け取っていたということ自体は、歴史的資料から事実だったようです。

 

鰻丼は芝居を見ながら食べるのが始まりだった?

 

うなぎは昔から食べられていた魚で、元はぶつ切りにして塩焼きや汁物の具だったそうです。

 

それが蒲焼にされるようになったのは、江戸時代初期に、徳川家康の関東の開発の頃に、関東の沼地にうなぎがたくさんいたのが背景にあったとか。

 

それを、ご飯の上に乗せて食べるのは、芝居小屋で大久保さんという人が売り出したのが鰻丼の始まりとして有力な説となっています。

 

正直、焼いたうなぎのいい匂いに釣られて芝居どころではなかったのではないかとも思いますが、芝居を見ながら弁当を食べるという文化は、江戸時代では当たり前だったようです。

 

おそらく、その文化が江戸からほど近い川越藩に伝わったのでしょう。

 

もしかしたら、昔は、川越周辺でうなぎが釣れたのかもしれませんね。

 

今はどうなのでしょう?