昔の農村地帯は娯楽の少なさ故か、夜ともなれば一軒の家に農家の主が集まり賭場が開帳されたらしい。
今で言えばパチンコの感覚に似ているかも知れない。
母方の祖父が名うての博打打ちだったそうで、祖母とその娘達7人は祖父の博打三昧によってずいぶん苦労させられたのだそうだ。
それ故に母の博打への憎悪は深く、父が博打を一切しなかったのもそんな母の意に添ったものだったに違いない。
子供の頃、我が家にトメヤンと呼ばれる住み込みの従業員がいた。
若くて闊達なその人に我々兄弟もなついていたし、働くことを惜しまない人だったので両親にとってもお気に入りの人だった。
ある時、トメヤンの部屋で私と弟が花札を前に、一月はこれ、二月はこれと札の意味を教えられ、お金を賭けないゲームを楽しんでいた時のこと。
母が部屋の前を通りかかり、花札を見るなり烈火のごとく怒り出した。
その迫力のすごかったこと、いかに祖父の博打が辛く身にしみたものであったかを教えられた。
のちのち我々兄弟が成長してみれば皆生活を大事にする大人になったけれど、その過程を思い返してみれば、それぞれパチンコ、麻雀、ポーカーと精出して過ごした時期もあり、やはり祖父の血のなせる業かと思わずにはいられない。