産まれてから18年間暮らした香川県は温暖な気候に穏やかな瀬戸内海、美しい瀬戸内の島々、ため池がたくさんあり、石垣が有名な丸亀城にこんぴらさん。。。
骨付鳥に瀬戸内の小魚、もちろんうどんッ照れ

目を瞑れば思い出されるのは美しい景色ばかりだ。

私は香川県が嫌いではないが、良い思い出はあまりない。

それは家がとても厳しかったからだ。特に祖母と母は一人娘の私に「こうなって欲しい!こうあるべきだ!」「思う通りに育ってほしい!」というのが強く、小さい頃から毎日習い事や塾に通わされた。
友達と遊ぶ事も許されず、休みになると勉強ばかりの毎日だったし、中・高校生になっても門限は時(授業が終わったらすぐ。友達と少しの寄り道も許されない。)という生活だったショボーン

それが窮屈で窮屈で堪らなかった。

嘘をついて友達と遊んだり、家出までして反発し、自分の気持ちを表現した事もあったが結局分かってもらえなかった。

小学生位の子供の頃から、私が将来親になったらこうはしたくない。と固く誓ってきた。
今振り返っても私は間違ってないと思う。
勿論勉強は大切だけど、子供の頃、思春期の頃にしか経験出来ない事がたくさんある。
例えば、部活をして友達と協力したり達成感を味わったり。友達と流行りの音楽やテレビやゲームの話で盛り上がったり。恋をしたり、デートをしたり。修学旅行に行ったり(うちの高校はなかった)。
どれもこれも叶わなかった青春の日々だ。

親に嘘をついて少しの時間を貰い⌚、当時好きだった男の子と学校の帰りに丸亀城に登り、真っ暗の中、キラキラと光って岡山へと繋がる瀬戸大橋を二人で眺めた。

あの橋を渡ってこの窮屈な世界から飛び出したい!!
あのキラキラ光る橋は、自由な将来に、きっと、絶対に繋がっている!!

私は祖父母や親からとにかく離れたかった。
香川から出たくて仕方がなかったのだ。

自分の意志で物事を決めたり、生活したり、恋をしたり、友達を作ったりしたかったのだ。

だからクラスメイトの殆どが関西へ出る中、無理を言って東京に進学した。
「4年したら戻ってくる事!」と祖母に言われ、どうして私の人生の大事な事を祖母が決めるのだろうと思った。
「親を捨てるんな」と母に言われ、どうしてその様な考え方しか出来ないのかと悲しかった。

※今、祖母や母を嫌っていたり、恨んでいたりは全くありません※


下矢印香川県民はうどんばかり食べてるイメージですが、、、まさにその通り照れキラキラ
東京に出てからも2〜3日に一度はうどんもぐもぐ1週間も食べないと禁断症状がガーン
因みに日本蕎麦は人生で1回位しか食べた事がありませんもぐもぐあまり、好きじゃないアセアセ