マスクはいつ取れるのかな?

 

 

コロナ禍のなかで、多くの会社はリモート形態に切り替え、

講演、研修活動は自粛され、

音楽、アート、役者、その他の表現に関る人々も、仕事が激減し、

多くの方々が社会との接触を制限されました。
 

社会との接触が断たれ、仕事がなくなると、私たちは不安になります。
 

そして究極的には、自分はいったい何者かしら? と考えます。
 

自分の存在理由と、嫌が上でも対峙せざるを得なくなります。

 

でもね、もともと存在理由はないのだと思います。
 

子供のうちはあっけらかんと遊び暮れ、
少年少女になれば、社会が決めた義務教育を果たすために学校に通い、

やれ、試験だ、部活だ、運動会だと 様々な学校行事に追われ 日々活動します。
 

卒業後は仕事に追われ、親になれば、父親、母親の役割に賢明となります。
 

そう、役割を与えられているうちは「存在理由」とゆっくり対峙する余裕もありませんよね。
 

しかし、その役割から解放されたリタイヤー後、

また今回のコロナ禍のように、みんなと一緒に働く、仲間と共に活動する場がなくなり、

ひとりで働く、ひとりで活動することになると、孤独をみつめながら、自分で自分の暮らしを創っていくことが求められます。

 

組織という管理から解放されると、しばらくの間は、自由が心地よく、伸び伸びとします。
 

しかし、その自由に慣れ親しみ、その自由が当たり前になると、日々与えられた仕事を、ただ唯々諾々とこなすだけではなく、

自分で毎日の時間割を作り、目標を設定し、自分で自分の自己管理をしなくてはならなくなります。

 

それに上手に応えられないと、自分はいったい何者かしら? 
 

これから、どうやって生きていけばいいのかしら?
 

と、人間本来のテーマである自分の存在理由と向かい合います。

 

コロナは私たちに多くの課題を与えてくれました。
 

マスクが取れて、忙しくなる前に、自分の存在理由と向かい合ってみませんか。


それが自分らしく生きる答えだから。

 

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