香食の話をいいことに、

ほぼ毎晩のように、お供えと称して開けたワインを一緒に飲んでいます(笑)

 

今まで飲んだ、もといお供えしたワインたちがこちら。

 

 















 ふふふ。

 なかなかのラインナップでしょう?

 

もともとはボルドーワインが好きだった旦那ですが、

最近は、私の影響で日本ワインが一番のお気に入りでした。

 

ま、基本的には私の好みでお供えすることになるんですが(笑)

 

私の選んだワインに文句を言ったことはない人なので、

おそらくどのワインも、美味しい美味しいと喜んで飲んで(いや香りを嗅いで)いることでしょう。

 

私も、一人でワインを飲むよりもなんとなく張り合いがあるし。

 

「ワインは、誰かと分け合って飲むためのお酒なんだよ」

という人がいましたが。

 

分け合うのはあの世の人でもいいんだなと、

そんなことを実感しております。

 

さてさて、明日はどんなワインを一緒に飲もうかな。

 

 

主人の訃報を聞いてすぐ、フランスの友人が贈ってくれた一編の詩があります。

 

”Le mort n'est rien”

死なんてなんでもないよ、っていうのが直訳。


最初に読んだときは涙で最後まで読み切れず、そのあとは何度も何度も読み返し、

その度に泣いて、その度に救われていました。

今でも、手元に置いて時々読み返しています。

 

フランス語が原文なのかと思っていたら、

イギリスの神学者で詩人のヘンリー・スコット・ホランドという方が書いた、100年も前の詩でした。
英語が原本だったんだなあと。

 

「さよならのあとで」という題で、日本語の絵本も出ているようです。

友人が和訳を送ってくれたので、そのまま記載しますね。

 死はなんでもないものです。
 

 私はただ となりの部屋にそっと移っただけ。
 私は今でも私のまま
 あなたは今でもあなたのまま。
 
 私とあなたは
 かつて私たちが そうであった関係のままで
 これからもありつづけます。
 
 私のことをこれまでどおりの
 親しい名前で呼んでください。
 
 あなたがいつもそうしたように
 気軽な調子で話しかけて。
 
 あなたの声音を変えないで。
 重々しく、悲しそうな
 不自然な素振りを見せないで。
    
 私たち二人が面白がって笑った
 冗談話に笑って。
 
 人生を楽しんで。
 ほほえみを忘れないで。


 私のことを思ってください。 
 私のために祈ってください。
 
 私の名前がこれまでどおり
 ありふれた言葉として呼ばれますように。
 
 私の名前が
 なんの努力もいらずに自然に
 あなたの口の端に のぼりますように。
 
 私の名前が
 少しの暗いかげもなく 話されますように。
 

 人生の意味は
 これまでと変わってはいません。
 
 人生はこれまでと同じ形でつづいています。
 
 それはすこしも途切れることなく 
 これからもつづいていきます。


 私が見えなくなったからといって 
 どうして私が 忘れられてしまうことがあるでしょう。

 

 私はしばしあなたを待っています。
 
 どこかとても近いところで。
 あの角を曲がったところで。

 

 すべてはよしです。 
 

『さよならのあとで』
 

詩 ヘンリー・スコット・ホランド
絵 高橋和枝

 

 

そう。

人生は続くのです。

 

どんなに悲しい別れがあろうと、どんなに理不尽な目に遭おうと、

何度「わー、終わった!」って叫ぼうと。

 

「生かされてる」って、そういうことだと思うんです。

 

 

この詩の素晴らしいところは、

必ずしも「死=マイナス」ではないよと思わせてくれるところ。

 

「死=不浄」という捉え方が残る日本では、なかなか出て来ない視点だと思います。

無宗教な私ですが、キリスト教のこういうところは好き。

 

 

そして、また別の意味で考えさせられたのはこの部分。

 

Ce que j'etais pour vous, je le suis toujour. 

私とあなたはかつて私たちが そうであった関係のままで
これからもありつづけます。 

 

私たち夫婦って、傍目にはものすごく仲睦まじく映っていたみたいですが、

なんだかんだ一緒になって20年近く経ちますからね。

 

世間一般のご夫婦と同様、それなりに問題もあり、行き違いもあり、

絶対に許せない!離婚ー!!って思うこともあったりしたわけですよ。

 

特に、離れて暮らしていたここ2年間というもの、

めっきりお互いの存在が気薄になってしまっていて。

 

彼がいなくなる直前は結婚記念日だったんですが、

どちらからも何も連絡をしないぐらいには、しれっとした夫婦だったわけです。

 

 

それが。

それがですよ。

 

 

いなくなった瞬間から、

一気に彼の存在が身近になってしまったんです。

 

「いなくなった」というよりは、

「戻って来た」という感覚。

 

なにやらとても近くにいる。

しかも四六時中。

 

これはもう、感覚でしかないのでなんとも言えないんですけどね。

 

おまけに、その人が「概念」としてしか存在しなくなると、

なんだかいい時のことしか思い出さなくなっちゃうんですよ。

 

これが問題。

 

出会った頃のこと、仲睦まじかった頃のこと、家族を笑わせてくれる、明るく楽しいパパでいてくれたこと。

そんなことばかりが思い出されて、

ここ最近のマイナスは、なぜかすっかり帳消しにされている。

 

「かつて私たちがそうであった関係のままであり続ける」なら、

それはちょっとずるいんじゃないのー?!


あ、死んだら仏になるから、

現世の罪はもう償ってて帳消しってことなのかな。


って、そこだけ仏教?!

 

うーん。。

なんか微妙にモヤモヤする。。



目の前にいなくなってしまった人と付き合い続けるって、ほんとに難しい。

 嫌なことを覚えていたほうが楽だなと、思うこともあったりして。

 

ま、でもやっぱり、無理して悪いことばかり思い出すより、

楽しかったことだけ覚えているほうがずっといいのかな。


うん、きっとそうだ。そうに違いない。

 

だったら私は、旦那様との「いい思い出だけ」を側に置いて生きていこう。


彼と共にしたかけがえのない経験を、宝物にして生きていこう。



生きていかなきゃいけないなら、

少しでも明るく、楽しくね。


 

Vous voyez tout est bien.

大丈夫、何も心配いらないよ。


 

「香り」というのは、洋の東西を問わず、古くから人々の生活の中にありました。

 

特に宗教の場面では欠かせないもので、

香りで邪気を払ったり、神の世界と繋がったり。

 

香りは目には見えないけれど、明らかに人の心を動かす不思議な力を持っていますから、

なんとなく目に見えない世界との橋渡しをしてくれるような感じがしたんでしょうね。

 

 

仏教でも、まずは墓前霊前にお線香を供えますよね。

 

やっぱり香りはあの世まで届くのかなーなんて思っていたら、

届くどころか、どうやらあの世では香りを「食べる」んだとか。

っていうか、香りしか食べられない。

 

「香食(こうじき)」っていうんですって。

 

造花じゃなくて、必ず生花を供えるのもそのため。

食べ物も、蓋を開けたり封を開けたりして、香りが立つようにお供えしてあげたほうがいいんだそうです。

 

だからお線香も、必ずしも伝統的なお線香でなくても、

生前その人が好きだった香りを供えてあげればいいんだよと言われました。

 

そうかそうか、だったらということで、今は私と娘が選んだルームフレグランス用のお香を毎日あげています。

(本人が好きかどうかは不明w)

 

 

あとね、もう一つ食べられるのが「湯気」なんですって。

だから、温かいお茶とか炊きたてのご飯とか、そういうものをお供えすると喜ぶんだと。

 

旦那なんか大食漢だったから、

炊きたてご飯とか焼きたてのお肉とか、たーっくさん供えてあげたいなと思うんだけれど。

 

 

うち、食いしん坊のワンコがいるんだよ。。。

 

 

祭壇が低いところにあるもんだから、

一瞬でも裸で食べ物を置いておいたらアウト。

パパごめん、あなたも可愛がっていた我が家のワンコのために、食べ物の香りは我慢してね。

 

というわけで、我が家のお供えは飲み物が中心となります。

 

朝は必ず、大好きだった紅茶を入れてお供え。

マリアージュフレールの「マルコポーロ」が大好きだったので、奮発して一箱買いました。

 



これ、本当にいい香りなんです。華やかでフルーティーで。

あちらでも、最高に贅沢な朝食タイムになっているに違いない。

一緒に飲める私もラッキー。一石二鳥。

 

そして夜は、もちろんワイン。


ワインは香りが8割と言われるぐらいですから、

香りが食べられるのなら、もうワインなんて半分飲んだようなもんですよ。

ビールの喉越しは味わえないだろうけど、ワインなら一緒に楽しめる!

 

ワインの香りは、自然と人が生み出す究極のアロマブレンド。

その日の気分(もちろん私の)に合わせて香りを選べば、

心も癒されてこれまた一石二鳥。

 

あ、この辺りのお話はワインアロマセラピー協会のHPをご覧下さいね。(とさりげなく宣伝)

https://www.winearomatokyo.com

 

 

というわけで、今回のことで私は改めて、

「香り」というものの奥深さを感じてしまっているわけで。

 

落ち着いたら、またゆっくりと香りの探求をしたいと思います。

 

4月20日、夫が突然の事故で亡くなりました。

 

あれから二ヵ月。

四十九日とやらも終わり、少しずつ日常が戻って来ています。

 

Twitterで日々の弱音を吐きだしたり、Facebookでかっこよく強がりを言ってみたりしながら、

みなさんに助けられながら、守られながら、励まされながら、

気が付けば二ヵ月。

 

あっという間のような、長かったような、と思っていましたが、

今日になってふと、「まだ二ヵ月なの?!」という感覚が湧いてきました。

 

こんなにいろいろあったのに、

こんなにいろいろやったのに、

こんなにごちゃごちゃな気持ちと、たくさんたくさん向き合ってきたのに、

 

それなのにまだ二ヵ月しか経ってないとかなんなの。。

 

私の中では、もう一周忌なんじゃないかぐらいの感覚なんですが、

そうかと思うと、実はまだ実感がないだけなんじゃないかという気がしたりもして。

 

とにかくまあ、日々の心の変化にはめまぐるしいものがあるわけです。

 

 

そしてふと、そういう心のあれこれを文章にしておきたくなって、

今までずーっと中断していたブログを再開しました。

 

基本的に、やっぱり書くことがすきなのです。

それに、もしかしたら万が一、

私の体験が誰かの役に立つかもしれないし。

 

そんな感じで始めるブログなので、

ここではなんのしがらみもなく、なんの戦略もなく、

日々の日記的なものからお仕事の宣伝の話まで、つらつらと書いていきたいと思います。

 

しかも私、写真が苦手なんです。

ごめんなさい。

これからも、たぶん文字ばっかりです。

 

それでも、そんな私の文章でも、

ほんのわずかでも読んでくれる人がいて、

何かを感じてもらえたら嬉しいです。

 

いつもありがとうな方も、

始めましての方も、

 

今後とも、どうぞよろしくお願い致します。

 

 

あ、過去ログに興味のある方はこちらでどうぞ。

https://ameblo.jp/latabledouce/