「色や音と違って、匂いにだけはなぜか善悪が生じる。」

「人は、匂いをいい匂いと悪い匂いのどちらかに分類してしまう。」

「というより、よくも悪くもない普通の匂いは認識しようとすらしない。」

「だけどこの世は、実はこのよくも悪くもない匂いで満ちている。」

 

そんな話を、オルファクティブデザインラボのイベントで調香師の鈴木隆さんから伺い、

なるほどなーと思ったのが先週のこと。

(これについては、また詳しく書きます〜)

 

そして、鈴木さんの著作「匂いのエロティシズム」(名著です!)を読みつつ、



人の持つ「匂い」について、改めてあれこれ考えていた今日この頃なんですが。

 

昨日、娘が観ているドラマをチラ見していたら、

人の匂いには敏感だっていう男の子が、

「あの女の人の匂いだけは気にならないんです!あの人、なんかおかしい!」

って力説したら、

「それは、君があの子のことをすきだからじゃないの?」

って言われてハッとするっていうシーンがあったんです。

匂いって、もっと本能的なものだよ…って。

 

ああ、やっぱりそうだよね。

言葉では説明できないし、うまく表現も出来ないけど、

確かにその人を特定する「匂い」ってあるんだよね。

 

わかりやすい体臭とか、好きな香水とかだけでは語れない、

もっと本質的な、その人だけがもつ「匂い」。

その人の匂いを纏った、その人だけが持つ「空気感」みたいなもの。

 

人を好きになる時って、条件だの見た目だのとなんだかんだ条件を言うけれど、

実は一番影響されているのは、その人の持つ「匂い」なんじゃないかなと。

単純に、一緒にいて心地いいと思える「匂い」と「空気感」。

 

そのドラマの主人公は、最愛の奥さんを殺されたんですが、

(っていうだけでどのドラマかわかる人は多いはずw)

奥さんの匂いが家の中から無くなるのが怖いと言っていて。

クローゼットも怖くて開けられない、と。

 

つまり、「匂いがなくなる=その人がいなくなる」という感覚なんですよね。

 

これでまた思い出したのが、先日のセミナーで鈴木さんがおっしゃっていた言葉。

アロマの世界でエッセンシャルオイルなどを『アブソリュート』と呼ぶのは、

香りこそが物質の『本質』だと考えているからなんだ、と。

 

どんなに美しいバラでもジャスミンでも、その本質は『香り』。

だから、香り(=アブソリュート)を取り出してしまえば、それはただの抜け殻だと。

 

人間も、その存在の本質は香りにあるとしたら…

 

うーん、これってまさに、『パフューム〜ある人殺しの物語』の世界ですねえ。。。

ああ怖い。。。

(映画もいいけど、小説のほうが鬼気としてて私は好きです。ぜひ読んでくださいw)

 

 

あの小説での人の匂いの描かれ方は極端だけれど、

少なくとも、人には必ずその人特有の「匂い」があって、

それこそがその人が「存在している証」みたいなものだっていう感覚は、

すごくわかるような気がします。

 

 

幸か不幸か、私たちは長いこと離れて暮らしていたので、

主人が突然亡くなっても、家にいてそういう喪失感を感じることはなかったんです。

 

でも、下田で彼が住んでいた部屋には、確かに彼の「匂い」があった。

匂いというか、確かにあの人が存在していたという証拠を纏った空気、とでも言うのかな。

 

ああ、だから、あの部屋を整理して引き払った時にものすごく辛かったんだなあって、

今になってふと思いました。

 

ああ、あの人はこれで本当にいなくなったんだな、

ほんとに全部なくなっちゃったんだなあっていう、どうしようもない喪失感。

そして、他の誰でもない自分があの人の痕跡を手放したんだという、

言いようのない罪悪感。

 

火葬したときより、その実感があったかもしれません。

 

 

香りは目に見えないからこそ、

人や物事の本質を語る鍵になるような気がしています。

 

私が長年携わっているワインは、まさに自然が作り出した香りの芸術。

この魑魅魍魎とした香りの世界をひもとく鍵のひとつが、

ワインの中にもあるんじゃないかな、なんて思いながら、

 

今日も墓前にワインを供えたいと思います。