と書くと、なんのマンガか察しのつく方もいると思いますが。
そんなマンガの最後に、すごく目頭が熱くなるといつか、いろんなことを考え、感じたお話があります。
それは、登場人物が「もしあの時こっちを選んでいたら、どうなっていたんだろうか?」という事を幻想ではありますが、体験した時の話です。
この話では、1年前に戻って、その時違う行動をしていたら。ということをこの人物は体験します。
すると、あろうことかこの1年間、ずっと「こうでありたい。」という願いが、あっさり叶ってしまったのです。
ゲームでの選択肢としては、そちらが正解でしょう。
「あれだけほしかったのに、選択肢さえ間違えてなければ、こんなあっさり手に入るものだったの?私の1年間って、無意味だったの?」
そんな風に、頭の中がめぐります。ですが、この人物はその願いをあっさり断ります。願いが叶って手に入れられたはずなのに。
「選択肢が間違えていたから、この1年間苦しんだ。だけど、それは間違いじゃなかった。全力で挑んだ1年は間違いじゃなかったよ。」
何が感動したとか、どこがいいとかうまく説明は出来ませんが、みなさんはわかってくれると思います←
これ、この1年間があったからこその考え方なんですよね。例えば、この時しっかりその選択が出来ていたらどうなるかっていうと、その願いを受け入れて楽しくやっていて、その苦労するであろう1年間すらもないんですよね。
でも、その苦労や体験があったからこそ、簡単に手に入った時に気が抜けちゃったというか、そんな気持ちになったんですよね。
そこでふと、頭に出てきた言葉があります。
「起きた現実は確かにそこに間違いなく存在する。」
未来や将来はまだ存在していなく、間違えていることもあるかもしれません。
ですが、確かに自分が経験した過去やこれまでの経験は、事実として間違いがなく、コミットされて存在しています。
忘れ去られようと、そうでなかろうと。うん。生きてきたこの道に、一切の間違いも変更もなく、存在してるんだね。と、思った28歳の誕生日でした。