昨日は、半袖でも良いぐらいの暑さでした💦
父が亡くなってから、もうすぐ1ヶ月に
なります。
来年4月4日に大学病院でICD除細動器
デバイス外来の予約が入っていました。
先週電話にて父が亡くなった事を伝えて
取消をしました。
私の心の中で亡くなった後も
ずっと引っかかっていました。
亡くなる直前までICD除細動器は作動
していたのか。臨床検査技師がモニタリング
していた父の記録を抽出し、その内容は
電話ではやりとり出来ないので、医師から
伝えるとの事でした。
そして、予約をとり大学病院に
父の最後を知るために行きました。
前回心不全になった時にICD除細動器で
ショックが作動し、緊急連絡先である
私の所に大学病院から、父の容態確認の
電話がありました。でも今回は、何も連絡が
ありませんでした。
父が亡くなったことを振り返ります。
4/26(日)は、私と夫と三女でお昼前に
特養へ父の面会に行きました。
2月下旬に大学病院から退院したものの
気力低下、食欲低下が続いていました。
医師からは、父の食べたい物を食べさせて
よいといわれ、ケアマネさんから父の
リクエストでお稲荷さんと太巻きが
食べたいとの事でした。またカットした
スイカを持参しました。
父と会ってすぐに顔色が顔面蒼白で
覇気がないのを感じました。
私は、もう1ヶ月ももたないのを感じました。
一切れだけ🍉を食べたいと言って
少しずつゆっくりと食べました。
部活や勉強に忙しく会えなかった三女を見て
また背が伸びたな。後ろ向いてみろと
パパと背中合わせをして、パパに追いつきそう
だねと話をしていました。
80歳傘寿のお祝いを兼ねて行った箱根旅行
とても楽しかったと話してました。
食べたくても、すぐ吐いてしまうんだ。
お昼ご飯の時間になり、昼食が運ばれて
きました。横になりたそうだったので
そろそろ帰るねと声をかけると、扉に向かうと
何故かその日は、私達に向かって手を合わせ
拝んでいました。
ありがとうと泣きながら言ってました😭
思わず3人でかけ寄り、
おじいちゃん、大丈夫だよ。
GW入ったら、またすぐに会いに行くから
背中を摩り、握手を1人ずつして別れました。
それが最後父と交わした言葉になりました。
19:40頃特養から電話がなりました。
私達が帰った後も2回嘔吐があり、
体調が良くないようなので、救急車を呼んで
病院で診てもらったほうが良いのでは
ないかと言われました。
低血圧で酸素飽和度が下がっていたものの
意識はあり、本人は病院には行きたくない
と言ってました。
私はこのまま様子を見てもらい、
月曜日朝一で
往診の先生に診てもらうように
お願いしました。
何か急変があれば連絡をお願いしますと
伝えました。
23:45に再び特養から電話がありました。
職員の方が見回りに行き、父の容態を
23:30に確認したところ、
すでに心停止しているとのことでした。
延命措置しますかと聞かれて
何もしないで大丈夫です。
これから救急車を呼びます。
搬送先が決まったら、連絡します。
今から私達も向かいますと伝えて
急ぎ父の特養へ行きました。
AM1:00
救急車の中で父は、AEDが行われていました。
すでに心停止していましたが、
救急隊員の方が必死で蘇生しているのも
虚しく、肋骨が折れるぐらい骨と皮しか
ないような身体でした。
足を触るとまだ生暖かかったです。
AM1:15
父が圧迫骨折した後、細菌性心筋炎で
入院した病院に到着しました。
AM1:33
死亡確認、死亡届が書かれました。
AM3:20
霊柩車が到着し、お寺で遺体を安置して
もらいました。
その後に病院を出て自宅へと戻りました。
大学病院の医師の話では、
21時までは正常に動作されていることが
分かりました。
それ以降は確認出来ませんでした。
20:30過ぎに不整脈が起きて、ICD除細動器
が作動していました。
2月下旬に大学病院を退院しましたが、
退院後も慢性心不全、腎不全は続いていて
少しずつ心臓の働きが低下し、他の臓器等も
機能低下していったのではないかと言う
ことでした。
19:40頃看護師から連絡あった時に病院に
来てもらえれば、処置できたかもしれない
と言ってました。
力になれなくてすみませんと
初対面で中堅の医師でしたが、
寄り添ってくれました。
本人は、もう病院には行きたくないと
言っていたし、
ICD除細動器が入っているがために
楽に死ねないのかと口にしていたし、
ICD除細動器の電源をあえてきることも
選択肢の一つなのではないかと思う
こともありました。
家族でそのような話しも決めないと
いけないなと思っていました。
父は、1人で静かに旅立ちましたが、
苦しむこともなく、寝ているような
穏やかな顔でした。
亡くなった後、遺体からICD除細動器を
取り出さないと火葬できないと聞いてました。
取り出すのかと思いましたが、そのままで
大丈夫とのことでした。
火葬場でも再度確認しましたが、
そのまま遺体は火葬されました。
リード線に繋がった黒こげの除細動器
白骨だけが残りました。
父が生きた証を目に焼きつけて
骨壷に納めました。
何も後悔はありません。
父にできる全てをやったと思います。
心のもやもやがやっととれました。