『出雲神社巡拝記』巻の1-⑪「国石大明神」(門江社) | 亀甲紋のブログ

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出雲国総社(六所神社)神官が、知られざる出雲の歴史・伝承や所蔵品等を公開しています。

今回は、島根郡上川津村(現:松江市上東川津町)に鎮座していた

国石大明神」(風土記:門江社)(延喜式:門江神社)です。走る人

 

先ずは、『巡拝記』の記述。

上川津村 かどと谷 国石(くにし)大明神

出雲国風土記』に言う 門江(かどヰ)社

延喜式』神名帳に言う 門江神社

祭神 不詳

 

 

 

 

 

()しょぼん この神社は、今は、この地の霊峰「嵩山(だけさん)」の山頂に鎮座する

  布自伎美神社(上東川津町)へ合祀され、残念ながら、旧社地にはありません。

宝石ブルー 嵩山については、コチラ「しまね観光ナビ」

http://www.kankou-shimane.com/ja/spot/detail/4019

宝石緑 旧社地については、コチラで位置が確認できます

(個人の方のページですが、位置図が載っているネット情報はこれ位です。)

http://www.geocities.jp/engisiki/izumo/bun/imo430207-02.html

宝石紫 布自伎美神社については、次回に解説します。

 

他の典籍を調べてみると、

 

 

 

と記されています。

 

江戸時代に書かれた『出雲国風土記抄』と『出雲神社巡拝記』は、共に

国石(くにし)大明神」が『風土記』に記されている門江社」である

と比定していますが、祭神は不詳・不明で、

この2冊が書かれた中間に編纂された『雲陽誌』には

「国石明神」の祭神を国常立命としていますが、

門江社」には比定していません

そして、大正15年に発行された『八束郡誌』には、

明治40年に「門江神社」は布自伎美神社へ合祀されたと記されていますが、

同じ大正15年に出版された『出雲国風土記考証』には、

当時「国石大明神」は、まだ存在していた様に書かれています。

 

更に検証してみる必要がありますが、

「門江(神)社」が布自伎美神社へ合祀されたのが明治40年だとすれば、

時期的には、明治末期に政府が行った神社の整理「神社合祀令(明治39年)」に従ったのでしょう。

『島根郡神社明細帳』は未だ確認していませんが、

合祀に伴って貴重な史料が散逸・消滅し、錯誤を生じさせているのならば、

『出雲国風土記』及び『延喜式』所載の神社ですから、誠に残念です。しょぼん

 

ベル 次回は、その合祀された「布自伎弥(フジキミ)の」です本 メモ