今回は、島根郡上川津村(現:松江市上東川津町)に鎮座していた
「国石大明神」(風土記:門江社)(延喜式:門江神社)です。
先ずは、『巡拝記』の記述。
上川津村 かどと谷 国石(くにし)大明神
『出雲国風土記』に言う 門江(かどヰ)社
『延喜式』神名帳に言う 門江神社
祭神 不詳
この神社は、今は、この地の霊峰「嵩山(だけさん)」の山頂に鎮座する
布自伎美神社(上東川津町)へ合祀され、残念ながら、旧社地にはありません。
嵩山については、コチラ「しまね観光ナビ」
http://www.kankou-shimane.com/ja/spot/detail/4019
旧社地については、コチラで位置が確認できます。
(個人の方のページですが、位置図が載っているネット情報はこれ位です。)
http://www.geocities.jp/engisiki/izumo/bun/imo430207-02.html
布自伎美神社については、次回に解説します。
他の典籍を調べてみると、
と記されています。
江戸時代に書かれた『出雲国風土記抄』と『出雲神社巡拝記』は、共に
「国石(くにし)大明神」が『風土記』に記されている「門江社」である
と比定していますが、祭神は不詳・不明で、
この2冊が書かれた中間に編纂された『雲陽誌』には
「国石明神」の祭神を国常立命としていますが、
「門江社」には比定していません。
そして、大正15年に発行された『八束郡誌』には、
明治40年に「門江神社」は布自伎美神社へ合祀されたと記されていますが、
同じ大正15年に出版された『出雲国風土記考証』には、
当時「国石大明神」は、まだ存在していた様に書かれています。
更に検証してみる必要がありますが、
「門江(神)社」が布自伎美神社へ合祀されたのが明治40年だとすれば、
時期的には、明治末期に政府が行った神社の整理「神社合祀令(明治39年)」に従ったのでしょう。
『島根郡神社明細帳』は未だ確認していませんが、
合祀に伴って貴重な史料が散逸・消滅し、錯誤を生じさせているのならば、
『出雲国風土記』及び『延喜式』所載の神社ですから、誠に残念です。
次回は、その合祀された「布自伎弥(フジキミ)の社」です。