今回は、前回の記事に関する解説の続きです。
このことについて、『古事記』では如何に記されているのでしょう。
〖意訳〗
参考に、大明社蔵版『古事記全釋』(1925出版)の訳文を引用しておきます。
それで此の大刀をお取りになって、不思議なものだとお思ひになって、天照大御神に奉献なされた。これは後の草薙の大刀である。
さて、これによって、速須佐之男の命は、宮居をお造りになる地を、出雲の国の中にお求めになった。そして須賀といふ地においでになって仰せられるには、「私は、この地に来てから、心がさっぱりとして何のわだかまりもなくなった。」と仰せになって、その地に宮居をお作りになってお住ひになった。この命のお言葉によってその地を、今でも須賀と云ふ。
この速須佐之男の大神が、はじめ須賀の宮をお作りになった時に、その地から雲が立ちのぼった。それで御歌をお詠みになった。その御歌の意味は、
今こゝに須賀の宮を建てゝ、妻とこもらうとする折しも、八重雲が起き立って来た。そのさまは、恰も閨(ねや)のかこみの八重垣のやうなさまをしてゐる。まことにめでたいきざしである事よ。
そこで、かの足名椎の神をお召しになって、「お前は私の宮居の司の長官におなりなさい。」と仰せられ、また名を稲田の宮主、須賀之八耳の神とおつけになった。
次回からは、いよいよ、国つ神の長たる「大国主命」(リンク
)についてです。