小泉八雲が紹介する
八重垣神社の奥の院「 神の森 」です。
第5節
この年古りた森
― うっそうと生い茂っているので、
日なたから木蔭へはいりたては、何もかもまっ黒に見える ―
は、竹、ツバキ、サカキにまじって、杉・松の大木から成っている。
薄暗いのは、おもに大きな竹が密生しているからである。
どこの神社の森にも、樹木のあいだに竹がみっしりと植えてあるが、
鳥の羽のようなひらひらしたその葉の茂みが、
ほかの厚い葉の茂った樹頭の隙間をふさいで、
まったく天日を蔽いかくしている。
ほかの樹木がなくても、いったい竹やぶのなかというものは、
いつも深い薄明を呈しているものだ。
この万緑のうすら明かりに、やがて目がなれてくると、
立ち木のあいだにある一導の細い径が浮き上がってくる。
ビロードのように柔らかな、美しい青苔に蔽われた細径である。
むかし、参詣者がこの神の森へはいる前に、
履物をぬがなければならなかったころには、
この天然の毛氈は、疲れた足にとって、さぞかしありがたい福音であったことだろう。
次に、よく見ると、目につくことは、幾かかえもあるような大きな木の幹が、
みんな厚い筵で7、8尺の高さまでくるんであることだ。
そして、その筵が、ところどころに穴があいている。
この森のなかの木は、みな神木だから、霊験があるものと信じられている。
それらの木の皮を、参詣者が剥がして行くといけないというので、
それでこうして筵が巻いてあるのだが、
正直よりも熱意の方が先に立つ参詣者たちは、
さっさとその筵を破いて木の皮を持って帰るものとみえる。
それからその次に珍らしいことは、
大きな竹の幹に、一面に字が書いてあることである。
これはみな、恋人たちの祈願と、女の子の名前なのだ。
いろいろ植物のあるなかで、自分の恋い焦れる人の名前を書きつけるのに、
なるほど、すべすべした竹の幹ほどぐあいのいいものはあるまい。
ここに書いてある字は、どの字も、はじめは軽く痕をつけたのだろうが、
それが竹の育つのといっしょに字までが育って、今では大きく黒々となって、
いつまでも消えずにいる。
最近、色々と整備がなされて明るくなりました。
(小径の苔は一時的に無くなりましたが、いずれ復活するでしょう)
今は、竹に文字を書く人は居ない様です。
⇒〔次回は、「神の森」にある「鏡の池」です。〕