このブログで書くのは初めてかもしれません。
私は障害者です。足に障害があります。
とはいえ、自分で歩けますのでかなり軽いものといえるでしょう。
杖が欠かせない方や車椅子を使うことを余儀なくされている方と比べればですが。
小1の時に発覚し、子供の頃はそのことで辛い思いも多々ありました。
母から「もしかしたら20歳くらいで歩けなくなるかも」と言われた時は
そうか・・・じゃあ私は結婚も出来ないな
とか
子供も産めないんだな
とショックを受けたことを覚えています。
でも、わりと幼少のころからスピリチュアルなものを信じる子だったので
これは天が与えた私への試練だ
などと、どこか妙に前向きでありました。
もちろん、同級生から歩き方を真似られたり、変なあだ名を付けられたりするとそれなりに傷つきましたけども
そんなふうに昔からだったせいでしょうか。
「人とは違う」ということを受け入れる準備が出来るのが早かった。
結果、それで精神が大いにダメージを受けることは少なかったと思われます。
しかし、後天的に生活に支障をきたす障害を持った人の心だとどうでしょう。
身体以上に心のダメージの大きさは計り知れません。
経度とはいえ障害者なので、私は障害のある方との交流が多いです。
車椅子に乗る方、見た目で奇形と判る方、片手のない方等々・・・
いろんな障害を持つ方を知っていますが、共通して言えることがあります。
正直、どの方も大なり小なり、心を病んでいます
障害を持ちながら、大儀を成し遂げる方も大勢いらっしゃいますが。
中でもアスリートはすごいですね
五体満足以上の身体能力を発揮するなんて、常人の精神では出来ません。
しかし、自身のユニークを強みに出来るまでに至る人は、相当な精神力がないと難しい、と私は認識しています。
たいていの方が、この先どうなるのだろうと自身に不安を抱えています。
自分の生きる価値に疑問符を打ちながら悶々とし、不眠に陥る人もいます。
独身だと、恋人が欲しい、結婚したいと願っているのに積極的になれない人も。
誰にも言えず、悩んでもだえ苦しんで・・・
心を病んでしまう
身体のことだけでもハンディキャップなのに、毎日精一杯なのに。
心まで、そのことで侵食されてしまうのです
今、ここを読んで下さっている方で身体になんの障害もない方は、自分には関係のない話、と、とうにページを閉じられたかもしれません。
でも、そんなことはないんです。
健常者にも同じことは起こりえます。
心と体のバランスが崩れた時、人は壊れ始めます。
健全なる身体に健全なる精神とはよく言ったもので、身体に異変があると精神が乱れる。
逆も然り。
心の乱れが体調の崩れにつながります。
病は気から、とも言いますね。
つくづくと古い言葉は真実を言い伝えるものです。
私も、天候が悪い時や季節の変わり目、良く動いた日などに足の調子が悪い。
日常的に痛むのですが、その3割増しです。
そうすると、足にしか意識がいかないので、いろんなことがおろそかになります。
結果、この悩みさえなければなと思うことが未だにありますが。
足りないことを数えても詮無いこと。
つまらないことを思ってしまう時、私はそう考えることにしています。
それよりも、自分がどれほど恵まれているかを大切に思うことに気持ちを向けます。
身体のことに限らず、自分の思うようにならないことそのものに縛られてしまうのは、心を縛られるということです。
何があっても、どんな環境でも、いつでも自分の心だけは自由にしておかなければいけません。
心を縛ることが、心と身体のバランスを悪くする一番の理由だからです。
私は決して不幸じゃない。
そのことに気付くことから解き放たれるものが必ずあります。
まだまだ言葉足らずで、思っていることの半分も伝えられた気がしないのですが・・・
今が辛くてたまらない人に少しでも届くと幸いです。