おはようございます。はるです。
最近お金にまつわることを見聞きしたので、少しそんな話を。
一般的に、お金を好きになろうとか、お金を大切にするとよいとか、財布はコレコレがいいとか聞きますよね。
もう10年以上お世話になっている美容院で初めてお釣りをもらった時、新札をそろえていただいたんです。
その次の来店時も新札。
聞けば「新札でもらうと気持ちいいでしょう?」と男性オーナーが答えてくれました。
確かに。
お店の斜め前には銀行があるんですが(笑)。いつでも新札に替えられますよね(笑)
この一件から私は、お金を引き出したら全て新札に両替するようになり、人に手渡すお金はいつも新札を使うようにしています。
ただ、難点があってピタッと重なりやすいので枚数が違っていないか何度も確認しないとうっかり1枚多いなんてことになります
もう一つ感動して真似始めて20年になることがあります。
それはお見送りです。
来客のお見送りでは姿が見えなくなるまでまさしく見送ります。
そんな回数が頻繁なわけではありませんが、そんなシチュエーションになったときはそうしています。
来客を幼稚園の園長先生と一緒にお見送りしたとき、戻ろうとする私の横でずっと立っておられる園長先生に「どうしたんですか?」と尋ねたところ、「いつも見えなくなるまで見送っている」と聞いて感動したのがきっかけで、私もそうするようになりました。
確かに車で帰るときなど、ミラーに見送る姿がいつまでも映っているのは感激です。
だからどうってことでもないもしれません。
少し手間や時間を労するだけですが、与える感動は大きいと思うのです。
私が感激したように・・・
これも感性が違えば「無駄なこと」としか受け取ってもらえないかもしれませんが・・・
果たして今までしてきた「新札」と「お見送り」が、私の何の得になったかなど全くわかりません。
その行為に私が得した気持ち(すがすがしい気持ち)になっているのが現実です。
自己満足と言われればそうかもしれません。
感動の輪が波紋のように静かに広がっているイメージを持っています。
誰もがいい生活をしたい、運気を上げたいと験を担いだりしますが、要は自分の気持ちが良いかどうか、そのための「整え」なんでしょうね。
感動の輪が広がるのは素敵なことです。
その感動の中身は千差万別、感性が同じかどうかってことなんでしょうね。